TIFF2010.10.25-28 Shock and Awe

TIFF03:『素数たちの孤独』サヴェリオ・コスタンツォ
なかなか面白い。ベルトルッチ的野心があるが、ストーリーテリングの独特さも合わせ突出していないので、全体としてバランスが良い。ただ、映画ファンとして言うなら、その収まり具合の良さに不満を感じる。

TIFF04:『そして、地に平和を』マッテオ・ボトルーニョ、ダニエレ・コルッチーニ
台湾ワルガキ映画をイタリア人が撮ったような感じかな、結構良いなあと思いつつ、どうやら風邪引きかけてしまったようでみるみるこちらの体調が悪化。なので評価は保留で。ただ、ちょっと勿体つけすぎ?あ、なんでもないっす(笑)

20101028TIFF05:『ハンズ・アップ!』ロマン・グーピル
素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい素晴らしい、ほんっとに素晴らしい!火曜日もう一度上映あります。絶対見るべき!見ないとダメ!見て、その素晴らしさを一人でも多くの友人に伝えて、日本公開に繋げて、大ヒットさせるんだ!

法と国家に抵抗する様々なコミュニケーションの有り様への模索、と言うと固いですが、それをまるでトリュフォーの『思春期』のように瑞々しさ溢れる筆致で柔らかく捉えた大傑作。本当に見事。日本でも絶対ヒットします!させなきゃダメだ!

マツキヨまで葛根湯買いに行ったほど具合悪いのに、それがすべて吹っ飛んでしまったほど『ハンズ・アップ!』素晴らしかった。映画、子供、母親、移民問題、社会の有り様、トリュフォー、ゴダール、映画を見て心の底から幸せな気分に浸ること、このどれか一つでも関心あるなら絶対見るべき!

帰りに友人と話してたんだけど、『ハンズ・アップ!』みたいな作品は気付いたらロードショウしてて大ヒットで、映画ファンもどれどれと見に行ったらこれがメチャクチャ素晴らしかった、って作品ですよ。そこで社会との距離感を更新したり、世の中捨てたもんじゃないと気付かせてくれる映画。

一部の人が公開に向けて闘争したりする映画じゃないんだけど、でも、そんな「普通に」素晴らしい映画がほっといたら公開されないってのが今の世の中。壊れてるよなあ。

クラスの半数近くの女子がすでに見て話題になってて、映画ファンも、そうそうあれは素晴らしいんだよねって話題に入っていって、そこで可愛い彼女をゲットしたりするのが『ハンズ・アップ!』本来のポジション。(男女逆構図もあり)

いや、そんな世の中じゃないとか主張するのだって、いわゆる「選ばれた少数者」の疎外感=優越感であるわけで、たいていの人は何が良いとか面白いとか単に知らないだけだったりするし、伝える努力を続けもせずにシニカル気取るのもどうかと思うな。

同世代の友人は、みんな少なくとも20年以上、人に良いものを伝えるという不毛な努力(笑)を続けてきていて、心底疲れてはいるけど諦めてるわけでもない。ロマン・グービルが『ハンズ・アップ!』撮ってるのも、そういうポジションからでしょ。

普通に良いものを世の中に広めるとか、普通に間違っていることを批判してみんなに考えてもらうとか、そういうベーシックなものは絶対失っちゃいけないと思う。勿論、新しい試み、過激な試みを支持して闘争することも大事だけど、まずこっちでしょ。

今日だって、授業で黒沢清の映画見たことある人、って聞いたら数人しか手を挙げなかったけど、『回路』の抜粋上映してその素晴らしさについて話したら、みんなものすごく真剣に聞いてたよ。うちのクラスは私語一切ないです。世の中、そんな大したものではないけど、そんな酷くもない。

TIFF06:『刑事ベラミー』クロード・シャブロル
あえて映画的見せ場を排し、サシャ・ギトリのように撮られた厳格な会話劇、…なんだけど、シャブロルごめん、風邪に加え授業で喋り倒してきた今日の私の体調最悪だった。DVD持ってるので、近日中に見直します。

TIFF07:『ゲスト』ホセ・ルイス・ゲリン
素晴らしい。人間とその生活と風景といった対象へ向かう関心、そしてそれを作品に高めてくれる映画のプリミティブな機能に対する愛情を日記形式ないしスケッチとしてそのまま見せてくれる作品。

タヒミックの日記映画なんかを久しぶりに思い出した。別に新しいことは何もやってませんが、でも映画ってこういうものでしょ、という確信にみなぎってる。映画には美学より重要なものがある。アケルマンがコンデジに一脚付けて撮ってましたが、あれいいな。真似しよう。

TIFF08:『神々と男たち』グザヴィエ・ボーヴォワ
これまた素晴らしかった。テロと国家による暴力の双方に晒されながら、愛を支えに生きることの悦びと不安と恐れと無力さのすべてを描いた作品。

絶望でも喪失でも、あるいは発見でも勝利でもなく、無力な愛の中に生きるという「状態」とその「推移」を描こうとする試み。このきわめて重要なテーマに対し、ボーヴォワはそれをフォルムのレベルにまで十分高めたとは言いがたいが、ここには間違いなく現代映画の一つの水脈がある。

ボーヴォワは、いつものように映画としては誠実すぎるくらい誠実なんだけど、ああいう映画に賞上げて劇場いっぱいにして、こうした<分かりにくい>試みが成立するよう擁護するという国の文化的な厚みは、正直羨ましい限りだと思いました。

ま、Shock and Aweの時代に、それもいいけどものも考えようよとか言ってもなかなか通じないもんな(笑)

アメリカも中国もガーンでドヒャーンで、日本も渋谷でガーンでドヒャーンで、映画も劇場でガーンでドヒャーンで、そういうのヤな人は、だから通俗的なチャイコフスキーでも聴きながらヒロイズムと孤独と不安の間で揺れ動くしかないんですよ、という話をしながら荻野君と六本木駅に向かいました。

TIFF09:『エッセンシャル・キリング』イエジー・スコリモフスキー
面白い!極限まで研ぎ澄まされた状況の中で人間のプリミティブな感情や本能が剥き出しにされつつ、そこに抽象的ないし形而上的な問いがオーヴァーラップするというスコリモフスキー近作に共通するスタイル。

一方にこの作品=「Shock and Awe(衝撃と畏怖)」スタイル、もう一方に『神々と男たち』(爆音ヘリコプターに賛美歌で対抗する修道士たち)を置けば、その間と周辺に様々な現代映画の可能性が見えてくるはず。この分野では、ロージーの『風景の中の人々』という不思議な傑作があって、その記憶を更新したとまでは言えないものの、これもやはり素晴らしい作品です。

TIFF10:『ウィンターズ・ボーン』デブラ・グラニック
確率から言って、さすがにそろそろハズレ引く頃でしょ、と覚悟して見に行ったのですが、これがビックリ、すごく面白かった。

「村の厄介者」の遺された家族、とりわけその娘の視点からのぞき見られたアメリカのディープな闇と感情の起伏と共同体の作法と女性たちの微妙な立ち位置といった感じの作品で、物語とそれを描く視点がきわめてオリジナル。シナリオ書く人は、必見だと思います。

演出も、シンプルかつ距離を置いた描写に努めていて、きわめて好感が持てる。パワフルな作品に仕上がっています。

端役でローラ・パーマーことシェリル・リーが出てました。

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