映画日記110816

『恐怖』(2009) 高橋洋

見逃していた高橋洋『恐怖』をテレビ録画で見ました。かつて、リヴェットは『2001年』を評して、機械は機械を撮ったときだけ面白いと述べましたが、それで言うと、この作品は恐怖が恐怖を撮ったのだから面白くないはずがない。ところが、実際にはそこまで面白くない。

個人的な不満点のいくつかは、恐怖が恐怖を撮ることより、恐怖が恐怖について講釈することを選んだかのごときに場面に由来します。中村ゆり演じる主人公の姉は、まるでホラー映画のカイザー・ソゼのようにも思えました。

Seven-Men-from-Now『七人の無頼漢』(56) バッド・ベティカー
Seven Men From Now

パソコントラブルで書くタイミング逸しましたが、バッド・ベティカー『七人の無頼漢』も再見。これ、徹底して主人公がスクリーンの中で何もやってない。その分、敵か味方か最後までわからないリー・マーヴィンが素晴らしい。きわどい発言連発で和やかな雰囲気に一気に緊張と亀裂をもたらす見事さ。

復讐の鬼という設定でありながら、実際にはスクリーンの中で不動=不在の中心として機能するランドルフ・スコットと、すべてを不安定にし活性化させる触媒のようなリー・マーヴィンとの組み合わせの妙ですね。

the_old_dark_house『魔の家』(32) ジェイムズ・ホエイル
The Old Dark House

『フランケンシュタイン』の監督ホエイルと主演ボリス・カーロフがその翌年に再び組んだホラー映画。嵐の中、人里離れた一軒家にたどり着いた2組のグループが、そこで世にも恐ろしい一夜を過ごす羽目になるという典型的なストーリー。

手元にある数少ない日本語版DVDの一枚で、かつてシネフィル・イマジカから発売されたものです。

ホラーとして現代の観客にアピールするものは少ないでしょう。しかし、ホエイルらしい古典的でカッチリした空間造形と人物描写による会話劇、そしてなんと言っても屋敷の装飾と照明を巧みに活用した影の描写が素晴らしいです。

食堂の壁に映し出された自分の影で影絵を作っていた一人の女性が、少し離れて影を大きくしてみるや否や、背後から不意に浮かび上がるもう一つの影に襲われるという、まるで『キャットピープル』の先駆けのような卓越した場面もあります。

キャラクターの中では、ボリス・カーロフ以外にチャールズ・ロートンも出演していて、これが実に素晴らしい。拝金的な現実主義者だけど、妙な心理的屈折を抱えている。と同時に、どこか憎めない側面もあることが次第に分かってくるって感じで、こういうのロートンはホントうまいな。

嵐という口実を利用して人々を集合させると同時に、恐怖を喚起する舞台背景も整える。その後、様々な理由で彼らを一人か二人ずつの小グループに分け、それぞれ恐ろしい体験をさせるって筋立ては、その後現在まで嫌となるほど繰り返される、このジャンルの原型の一つだと言っていいでしょう。

しかし、それ以上に今回思ったのは、これ、ほとんどデプレシャンの『二十歳の死』と同じだってこと。大きな屋敷に集う他人たちの群衆劇、大家族の忌まわしき秘密、カッチリした構成の一夜の物語、などなど。デプレシャンのジャンル映画好きは有名ですが、実はホラーからも結構やってる気がする。

meeks_1『ミークス・カットオフ』(2010) ケリー・ライヒャルト
Meek’s Cutoff

絶対見るべき作品!つか、絶対見るでしょ!アメリカの女性監督が2010年にインディペンデントで撮った西部劇。それもスタンダードですよ!面白い映画、よくできた映画というのはたまにあるものですが、これは映画に興味ある者であれば絶対に見るべき映画。

1845年、オレゴン・トレイル初期。ワゴンを率いる3組の開拓者家族は、ミークという男を道案内に雇う。彼の示す近道を進んだ一行は、しかし、何もない砂漠の真ん中に放り出され、やがて水も食料も底をつく。ミークへの疑いに揺れる一行の元に、さらに一人のネイティブ・アメリカンが現れる…

フォードに代表される西部劇の神話に対して、ベティカーからアルトマン、ヘルマン、イーストウッドに至る様々な作家がそれぞれの時代背景と独自の立場からそこにアプローチしたものとして、この作品でのライヒャルトの野心は、端的に言って、女性の視点からその神話を語り直すことにあったと言えるでしょう。

女性のウェスタンと言っても、たとえばフォードの『荒野の女たち』でなければ、『テルマ&ルイーズ』西部劇版でもない。オレゴン・トレイルや荒くれカウボーイ、ネイティブ・アメリカンといった典型的な道具立てを用いつつ、それらが女性の視点からどう見えるか、映画の形式に収めるべく挑戦している。

馬上からの視点ではなく、徒歩で砂漠を横断する者にとって、当時のアメリカにはどんな時間が流れていたか、農民家族の中に西部の荒くれ男が混ざるとは具体的にどういうことか、言葉の通じない異文化の人間と共に過ごすとはどういうことなのか、そのディテールを実に繊細なタッチで描いた作品です。

meeks_2実際、ミークが話す超ブロークンな英語など、現代の、それも英語ネイティブではない観客にとって、きわめて聞き取りの困難なものでした。また、その感情表現も実に共感しづらい。そしてそれはそのまま、劇中のミークやネイティブ・アメリカンに対する白人家族たちの不安へと直結するわけです。

そこには、インディアンとの勇壮な戦いとも、あるいは異文化交流といった美辞麗句とも一切無縁な、具体的な不安と困難とそのディテールが存在しています。

この作品のテーマをひと言で述べるなら、それは迷いであり不安であり疲労といったものになるでしょう。馬に乗った荒くれカウボーイたちの雄々しい勇気が駆け抜けた開拓時代のアメリカには、同時に、絶えず不安に苛まれつつ何もない空間を徒歩で横断した女性たちによる風景もあったのです。

ケリー・ライヒャルトによる実に野心的なこの作品は、正直言って、その野心に見合うだけ十分な成果を上げたとは言い難い部分もあります。しかし、迷いを主題にした作品を、何の解決もない迷いそのものとして観客の元へ放り投げるその勇気は大いに賞賛されるべきだと私は思う。

『ミークス・カットオフ』は、絶対見ておくべき映画だと思います。というか、見たいよね!静かな静かな、ある意味とても地味なアメリカ映画なので、ミシェル・ウィリアムズとポール・ダノが出演しているとはいえ、日本公開されるか怪しいですけどね。

meeks

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