映画日記110922

2670798689_497efc3e45『獣人島』(32) アール・C・ケントン
Island of Lost Souls

「ドクター・モローの島」2度目の映画化であり、トーキーとしては初のウェルズ原作もの。傑作の呼び声高い作品です。もうすぐクライテリオンからブルーレイが出るので待つつもりだったのですが、つい、以前買ってたVHS見ちゃった。

ヘイズ・コード発動前のハリウッド製ホラー。モロー博士役は初の大役だったチャールズ・ロートンが演じ、クリーチャーの一人としてベラ・ルゴシも出演しています。監督のケントンはサイレント期からの長いキャリアを持つ人で40年代ユニヴァーサルホラーなんかも手がけてますね。

なにより、画面がダイナミックです。ホラーと言うよりアクション映画の感覚。最近の映画で見るようなクレーン撮影っぽいのまである。すごいなあと思ってたら、撮影監督、カール・ストラスじゃないですか!ムルナウの『サンライズ』撮った人ですよ!そりゃすごいはずだ。

チャールズ・ロートンのマッド・サイエンティストは最高のはまり役。このタイプのキャラクターとして、映画史上の名演と言われるだけのことはありました。素晴らしかった

go_go_tales『ゴー・ゴー・テイルズ』(2007) アベル・フェラーラ
Go Go Tales

もんのすごく面白い!びっくり!いや、もちろんフェラーラ作品ではありますけど、なにせここ10年、日本はもとよりアメリカでさえ彼の近作が公開されない状況ですから、正直、スランプを疑う気持ちもありました。間違いでした!

ストリップクラブを舞台にしたスクリューボールコメディで、主人公のウィレム・デフォーは、そのオーナー。と言うことで、題材的にマチュー・アマルリックの『さすらいの女神たち』なんかも連想させられますが、その切り口は随分違います。

アマルリックの作品が、華やかな舞台の裏側を描くカサヴェテスのようなオフステージものであるのに対して、『ゴー・ゴー・テイルズ』は、ステージでも人生でも24/7でピンチとチャンスが交互に訪れる人々の姿を、全編、超ハイテンションで描いた作品。メッチャ面白いですよ!

物語としては、閑散期で資金繰りの厳しいストリップクラブの一夜が描かれてます。自らもステージに立つオーナーのレイは、ロトに手を出しクラブを救おうとする。その間にも、給料未払いで騒ぐ踊り子たち、家賃の取り立てにくるビルのオーナーなど、様々な人々がクラブを混乱に陥れていく、って感じ。

アメリカのギャング映画なんかでチラッと登場して映画にニュアンスを与えるナイトクラブとか、そこに巣くう本来脇役である人々を引っ張り出し主役に据えたような作品ですね。なので、登場する人々全てに等しく愛情が注がれてる。題材からは一見想像も付かないほど愛に満ちた映画です。

映画後半でクラブが店じまいした後には、踊り子や男性店員たちがそれぞれ特技や本来の仕事(マジシャンやバレリーナなど)をステージで披露するイベントの様子も描かれてます。この辺り、ほとんどルノワールやオフュルスみたい!少なくとも、その正統な嫡子と呼ばれるべきです!

猥雑でギラギラした夜の都会を背景に、『フレンチ・カンカン』とか『快楽』の現代版をスクリューボールコメディとして作ろうって、それ、ものすごい野心だと思う。

キャストも超豪華!デフォーに加え、マシュー・モディン、アーシア・アルジェント、ルー・ドワイヨン、ボブ・ホスキンス、シルヴィア・マイルズ、バート・ヤングなどなど、涙ものじゃないですか!とりわけ、ずーっと一人で怒鳴ってるけど、若い子の夢の前では優しくなるマイルズが最高!

イタリア製作で、英語で撮られた作品ですが、DVDでは吹き替えイタリア語がメイン。一応、英語音声も入ってますけど、2chだけ。字幕もイタリア語のみ。でも、すっごく面白いコメディなので日本公開…、は難しいにしても、日本版DVDとかどっかから出ないかなあ。もったいないよ。

new-rose-hotel『ニュー・ローズ・ホテル』(98) アベル・フェラーラ:
New Rose Hotel

再見。ウィリアム・ギブスンのサイバーパンクSF短編を映画化したもので、とは言え、ほぼ全編会話ばかりの超低予算で作られた作品。日本未公開。と言うか、これ以降のフェラーラ作品は一本も日本で公開されてない。

クリストファー・ウォーケン、ウィレム・デフォー、アーシア・アージェントの3人を中心に、アナベラ・シオラ、ジョン・ルーリー、天野喜孝(「ファイナル・ファンタジー」のイラストレーター)、坂本龍一、グレッチェン・モルという豪華共演。フェラーラ作品と言うことでたぶん安く出てもらってる筈。

日本が世界を支配する未来にまだ説得力があった頃の作品で、それは同時にアメリカの不安を反映してもいる。現在だと、そのポジションは中国になるのでしょう。SFとしての舞台設定を映像的に示すものとしては、『ブレードランナー』同様、関西の街の空撮なんかが(たぶん別撮りで)使われている。

携帯電話やパームあたりもさかんに登場しますけど、こういうテクノロジーに一番時代が出やすいものなので、今だと逆に古さを感じてしまいますね。まあ、映画的にはその当時のSFっぽい意匠を描けばそれで良いという作品なので、かまわないとは思いますが。

と言うのは、フェラーラとしては、この前の『ブラックアウト』と同様、主人公の意識の混濁をテーマにした作品であって、どこから事実でどこから妄想や夢や希望であるのかハッキリしない作りになっているからです。

トンネルの中でくぐもって反響する声のように、映画全体が主人公の頭の中で反響し続ける曖昧な幻想として作られた作品ですね。モコモコと輪郭のハッキリしないボンヤリした印象の映画。その中で、たった一度だけ生じるある決定的な事件だけが鮮明な印象を残す。それ以外は事実なのか幻想なのか不分明。

たぶん、観客の期待を大きく裏切ったということもあって、フェラーラ作品としては非常に評価が低い。まあそれも仕方ないかなという出来ではありますが、でも『ブラックアウト』のラインとしてはそんなに悪くないし、頑張ってSFにしてますって感じもカワイイと思うんだけどな(笑)。

domaine『領域』(2010) パトリック・シハ@カイエ週間
Domaine

若い美少年と数学者の叔母の近親相姦的な関係とか、彼が年上のゲイの青年にナンパされて関係を持つこととか、規律を愛していた叔母が徐々にアル中となり生活が乱れていく様子とか、そういうあれやこれやを漫然と平坦に描いた作品。

秩序が混沌に飲み込まれていくこととか、若者特有のプラトニズム=自堕落さへの嫌悪とか描きたいのだと思うのですが、その主題とともに作品全体を物語的構築から解き放とうという意図こそ理解できるものの、実際には単に抑揚を欠いた凡庸な作品になっているように思う。

映画における混沌って、要するにその辺にもの置いとけばすぐに腐り始めちゃうという、細菌や微生物への恐怖と深く関わりがある気がして、だから乾燥したフランスだと実感として迫ってこない。何か別の装置や工夫が必要だと思う。ナイトクラブとか出せば混沌になるってものじゃないし。

でもまあ、フランスでこういう主題描きたがるのって、やっぱ他者を求める気持ちからなのでしょうし、それは正しいと思う。日本で混沌描いたって、もともとそういう国だしなあっていう。もの置いとけばすぐ腐る国で堕落とか普通じゃんって思う。日本でやるならむしろ逆じゃないかと。

le-mariage-a-trois-movie-poster-2010-1020559438『三人の結婚』(2010) ジャック・ドワイヨン@カイエ週間
Le Mariage a trois

メチャクチャ面白い!やってることは『ラ・ピラート』とあまり変わらないですし、複数の登場人物の順列組み合わせでカップル作って行くとき、一人だけ離れた場所に置く人物配置も同じだとは思う。

ただ、『ラ・ピラート』の時にはひたすら研ぎ澄まされていく神経戦の鋭角的な凄みに全ての掛け金が置かれていたのに対して、こちらはもうすっかり巨匠の余裕ですね。ヘビーな話なのに、同時にすっごく豊かな気持ちになる。笑える場面も多数。心が最高のワインで満たされるような映画です。

とりわけ、ジャック・リヴェットの『小さな山のまわりで』など連想させられますね。登場人物たちの会話とそれを通じた関係性の変容によって進行していく作品ですが、だからエンディングに向かって直線的に物語が進展していくわけではなく、同じ場所でその組み合わせだけがパタパタと変容していく。

人物たちの映画であると同時に、建物の映画でもあります。パスカル・グレゴリーが暮らすヴィラの存在感が圧倒的。どこに何があってどういう間取りで、というのが自然とこちらの頭に入ってくるように作られてる。建物が自己主張してくる。

川のせせらぎとか、木々が風でざわめく音とか、小さな蝿の羽音とか、そうしたささやかな音響処理も最高に素晴らしい。決して多くなく、むしろかなり人工的に処理されてるんですが、ここぞというタイミングで介入してくる。その風一つ水音一つで映画は表情をガラッと変える。

『領域』と並んで、男性が胸までTシャツめくりあげる映画でした(笑)。こっちの方がずっと笑えるけどね。猟銃をパーンと撃つジュリー・ドパルデューが最高!傾斜をずり落ちながらルイ・ガレルとイチャイチャするのが最高!車の助手席で後ろ前に座るルイも最高!ああいうの、よく思いつくもんだ。

そして何より、全員が全員を「開発」していく映画の中で、最後に若い娘を籠絡し開発し、その若さを映画への捧げ物とするのがパスカル・ボニツェールの娘アガタだってのも最高!ドワイヨン、どんだけタチ悪いかと(笑)。なんか監督にどっか顔似てたし。いやあ、面白い映画だった。最高でした。

insidious-movie-poster『インシディアス』(2010) ジェームズ・ワン
Insidious

映画としてはダメだと思う。とは言え、全くつまらない作品かというとそんなことはなくて、これはたぶん映画として見るよりホラーゲームの文脈で見た方が正体掴みやすい。「アラン・ウェイク」とか「サイレント・ヒル」とか。

とりわけ、後半の展開はゲームそのものですね。プレイヤーキャラクターが異世界を旅して困難と闘い、世界と自らの精神の秩序を取り戻そうとする話。そのための状況設定として、ホラー映画のイディオムを活用した前半があるって感じでしょう。映画とはどこか決定的に肌触りが違う。

映画の場合、人物の存在感を含めた世界の広がりと構築が問われる訳ですが、たぶんそこに興味ないと思うんですね。中盤あたりの父親の描き方とか、かなり酷いし野暮ったいし。それよりむしろ、多種多様なガジェット(物語装置、幽霊探査デバイス)をどのように導入するかにこの作品の主な関心がある。

様々な技巧とトリックの多彩さに誤魔化されそうになりますが、基本的には観客の興味の方向をきわめて限定させた作品で、それにより主人公の行動がプレイヤーの操作それ自体とあたかも一致しているかのように錯覚させる。「操作できないゲーム」というこの作品最大の欠点を隠蔽するわけです。

では、それが21世紀の映画として面白いかどうか、ここに映画の未来があるのかどうかというのが問題となってくるわけですけど、わたしは正直、あんま興味ないな。ゲーム的体験はゲームに求めます。映画には、映画的体験とその可能性の探求、広がり、裏切り、決別、そうしたものを求めたい。

最初から別なものは、別なんです。

『パテール』(2011) アラン・カヴァリエ@カイエ週間
Pater

バテーる。
バテてネムール。

spartan『特捜刑事スパルタン』(2004) デヴィッド・マメット
Spartan

DVDスルー。日本版のパッケージとタイトルからはスパルタンという名の刑事の活躍を描いたおきまりのアクション映画にしか見えませんが、全然違います。スパルタン刑事も出てきません。『殺人課』のマメットによる傑作の一本。

非情で冷酷なプロフェッショナルの世界で、それでも人の心と想像力を失うまいと抗いつつ、であるが故に、ある場合には妄想にとらわれ、ある場合には失望と徒労感でボロボロに朽ち果てていく人々を描かせると抜群に素晴らしいマメットですが、これもまたそんな作品。

タイトルは、たった一人で敵地に送り込まれたスパルタ兵の故事に由来するもの。誘拐された大統領の娘を救出するため働く特殊部隊の姿を描いていますが、その誘拐自体、ほぼ偶然に近い出来事でしかなく、救出ミッションも失敗ばかり、人はバンバン死んでいく。事件は解決しても、後味の悪さばかりが残る。

画面のあちこちに何か引っかかる記号を頻繁に配置して、それらを回収しつつ多層的な物語と世界の広がりを見せていく。観客の「見る力」をよっぽど信頼していないとこういう芸当はできない。主演のヴァル・キルマーに加え、ウィリアム・H・メイシー、エド・オニールなどの使い方が最高にうまい。

アクション映画のフォーマットに沿いながら、その土壌の豊かさが枯れ果てる限界まで見極めようとする作品。こういうことが可能で、しかもちゃんと受容されるアメリカって国は、やっぱ大したものだ。日本なんて、こんな安っすいパッケージで、しかもDVDスルーだもんな。

『特捜刑事スパルタン』日本版DVDパッケージ
http://img.movies.yahoo.co.jp/pict/rental_limg/b8/91/586269.jpg
『特捜刑事スパルタン』オリジナルポスター
http://movieposters.2038.net/p/Spartan.jpg

r-xmas-movie-poster『クライム・クリスマス』(2001) アベル・フェラーラ
‘R Xmas

再見。ゼロ年代以降、全く日本公開されていないフェラーラ作品で、これも日本ではDVDスルー。メチャクチャ面白いのに!最近はDVDさえ出ないけど。新作、東京国際映画祭で来るかと期待したんだけどなあ。

ニューヨークのドラッグディーラーとその家族の日常の風景、彼が巻き込まれる誘拐事件などを、故意に観客の期待を裏切り続けるスタイルで描いた作品。淡々と続く日常の即物的描写と、その背後で機能する物語的想像力、そして当たり前に見える日常が大きな悲劇を生み出している残酷さを主題にしてる。

『特捜刑事スパルタン』同様、この作品もまた、観客の「見る力」を信頼し、その前提の元で描写スタイルが成立してる。重要な出来事が起こる場面ほど、それが現実か夢か判別できない撮り方になる。面白い。ボーッと見てたら絶対分からないところに、作品の中心が当たり前の顔して置かれてる。

フィルム撮影されたカッチリした画面と手持ちのビデオカメラによる荒々しい映像が混在するフェラーラ作品の特徴も健在。日常的な風景の即物性と、それを動かす人々の欲望や執着、妄想、怒りといったダイナミズムを併置して描くための手法だと思う。

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