『マーサ・マーシー・メイ・マーリーン』ショーン・ダーキン

Martha Marcy May Marlene Movie Posterこれはすごい!必見!ここ一、二年の米インディー映画界で最も話題になった作品ですが、それも当然の話。映画の新しいフォルムを探ろうとする極めて野心的で斬新な試みと、それを実現する非常に高い演出力や美的センス、場面構築力が見事に共存している。処女作でこれだけの成果を上げるというのは、ちょっとすさまじい。ショーン・ダーキンの名前は覚えておかねばならない!

基本的にはサスペンス映画で、カルト教団から逃れてきた少女が再び家族や現実社会と折り合いを付けようとする姿を、彼女の不安定な仕草や様子、そこから透けて見える精神状態を周囲の人々の当惑を共に捉えつつ、過去と現在のフラッシュバックで並列的に描いた作品だと言って良いでしょう。

ただ、カルト教団と日常生活を対立的に描くのではなく、また洗脳によって人間がモンスターやゾンビのようなものへと変貌するといった安易で都合の良い解釈も退け、さらにはカルト教団を美化することも絶対に行わず、社会や現実に対する細かな違和感や行き場のない苛立ちの集積によって、それらが地続きの場所にあり、しかしながら、その先には決定的に後戻りできない地点があることをも同時に示しているのが独創的だと思う。
少女の居心地の悪さにも、周囲の人間の当惑にも共に深く共感できるものを私たちに感じさせつつ、気づけばそれらが決して後戻りできない場所にまで深く進行してしまっていることに気づかされることの恐怖。

サスペンスとは、もちろん宙づり状態に由来する言葉ですが、それを物語的な未決定に起因させるのではなく、風景や環境への細やかな違和感、それらの振動、そして細部が不気味に共鳴し合う様をひたすら静かに捉えることでゆったりと醸成させていく作風は、かなりオリジナルなスタイルを生み出していると思います。

誰もがふとした瞬間に捉えられるちょっとした引っかかりや心のブレ、世界の中での居心地の悪さのようなもの。それが次第に反響し合いながら坂道を転げ落ちてゆくことのすさまじさ。誰もが洗脳される可能性があるなんてつまらない言葉には絶対辿り着けない説得力と実在感がそこにはあります。
洗脳と安易に名指されてしまっているものとは、そもそも何なのか。それは本当に自分たちの現在と無縁なのか。普通とは何なのか。日常とは何なのか。この作品を見る者は自分自身へと改めて問い直す必要に迫られるでしょう。

マーサはマーシーであり、メイであり、そしてマーリーンでもある。それは可能性であり、希望であり、救済であり、親密さであり、未来であり、心の安らぎであり、現実からの逃避であり、洗脳であり、犯罪であり、カルトであり、絶望であり、あなたであり、そして私である。

ショーン・ダーキン監督作品『マーサ・マーシー・メイ・マーリーン』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=0_k3wCsOgqk

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