映画日記20110510

ここしばらくの間でtwitterに投稿したのにこちらには転載していなかった映画日記&試写日記です。
抜けや重複があるかも知れません。

『ブラウニング・バージョン』
アンソニー・アスキス

『ティンカー・テイラー』見て、久しぶりに渋いイギリス映画にドップリと浸りたくなったので、クライテリオン・セールで買っていたこれを。パブリックスクールでラテン語を教えていた老教師が健康を害し教壇を去るまでの数日が描かれています。

マイケル・レッドグレイヴ演じる主人公は学者として優秀だが、厳格でシニカルな性格のため生徒たちから嫌われ、学長には陰でヒムラーとさえ呼ばれている。妻は同僚の教師と浮気し、生徒たちからも全く慕われない彼は、自分の人生が失敗だったと考えるが、そこで初めて一人の人間として周囲の人間に少しずつ心を開くようになる、という話。

アスキスは、おそらく現代では忘れ去られてしまった作家の一人で、この作品も緊張感溢れる出来だとは思いますが、改めて注目されたり再評価されるような作品ではないかもしれません。ただ、年老いた嫌われ者の教師の内面とその感情の流れを丹念に追っていて、これ、本当に感動的なんですよ。こういう映画って、もう作られなくなってしまいましたよね。

厳格な教師が急に優しくなったりとかはしないんですよ。最後までいかめしくて辛辣でいかにもイギリス人で。ただ、そうした自分の失敗を最後に素直に認め、次に来る人たちに道を譲る。そして、彼のことをただ嫌っていた生徒たちも、古き良き教師の最後の姿にいつまでも暖かい拍手を送り続けるって感じで、ああ、いいなあ、こういうのって。

因みに、タイトルのブラウニング・バージョンとは、「アガメムノン」を現代イギリス語に翻訳したロバート・ブラウニングの版のことで、主人公の教師もかつてそのラテン語の戯曲に熱狂していた頃自分の手でそれを口語訳していたが、未完のまま放置していたというエピソードに由来しています。

こういうタイトルのセンスも大好き。今どきのマーケットしか頭にない映画タイトルとは大違いだな。

『アワ・イディオット・ブラザー』
ジェシー・ペレッツ

タランティーノによる2011年ベストで『アーティスト』とタイの10位に入ってました。あまりに率直で素朴でお人好しで、何事も正面から受け止めることしかできない、一言で言えば馬鹿な兄弟が引き起こす騒動を描いた映画。面白かった。

馬鹿な兄貴を持った3姉妹というのが、旦那に浮気されてるのに家族のため見て見ぬふりするエコロジストとか、仕事のため他人を踏み台になりふり構わず生きてきたビッチとか、レズビアンでずっと付き合ってる彼女がいるのについ男と寝て妊娠しちゃった3女とか、要するに現代社会を今どきに生きてる人たちばかりで、それが馬鹿な兄貴に振り回されて生活をメチャクチャにされて怒るんだけど、本当はそれまでの自分の方がずっとメチャクチャな人生を歩んでいたことに気づくって感じ。

3姉妹をエミリー・モーティマー、エリザベス・バンクス、ゾーイ・デシャネルが演じてて、みんなとってもはまり役。これだけバラエティ豊かな役を演じることが出来るのって、ラッキーだと思いますね。馬鹿な兄貴役のポール・ラッドもとても良かった。

『ジャイガンティック』
マット・アセルトン

びっくり!これは拾いものでした。すっごく面白かった。ゾーイ・デシャネルで買ってたDVDですが、一般的には評価が低くて、でもダラス国際映画祭で作品賞取ったり一部でファンがいるって話だったのですが、私は大好きだった。

『(500)日のサマー』のサマー目線から恋愛とか家族とか成長とかを扱ったラブストーリーだと言えばいいでしょうか。もちろんゾーイはボケなんですが、相手役がポール・ダノでこちらもボケ。ボケVSボケの壮絶な恋愛バトルが繰り広げられます(笑)。『サマー』の100倍面白い。

すっごくヘンな女の子とすっごくヘンな男の子がすっごくヘンな恋愛をして、でも彼らは物事を駄目にしちゃいけないと悩むんだけど、本当は周りの大人たちもすっごくヘンで、何もヘンじゃないし何も駄目にならないと教えてくれるって映画。良い話じゃないですか!

ポール・ダノのお母さんをジェーン・アレクサンダー(!)が演じてて、彼女とゾーイがベランダで女同士で話す場面があるんですけど、これがものすごく感動的。ちゃんと風も吹くし外の空気が入ってくるし。ベランダという空間をキチンと扱える映画ってそれだけで素晴らしいですよ。

共同脚本を日系の方が書いてられるみたいで、そんなこともあってかこの『ジャイガンティック』、なんか不思議に日本映画っぽいというか、日本映画にいろんなアイディアと活力を与えてくれる作品だと思いました。恋愛映画とは全く無縁な人こそ、これ見て恋愛映画撮りたくなるんじゃないかと。

『ディー判事:幻炎の謎』
ツイ・ハーク

ガイ・リッチー版『シャーロック・ホームズ』同様のラインを狙った超大作なんですが、監督がツイ・ハークだから派手でも下世話でも見せ場てんこ盛りでも、安心して楽しめる作品に仕上がってます。めっちゃ面白かった!

普通に考えたら、いやんなるくらいあざといしガチャガチャしてる筈の作品なんですが、やっぱ映画のスペクタクルのなんたるかを知ってる監督さんだからでしょうね、全編ただただ血湧き肉躍る素晴らしいアクション映画に仕上がってます。

ディー判事役のアンディ・ラウをはじめ、レオン・カーファイ、カリーナ・ラウ、リー・ビンビンと豪華俳優陣が集結して、さらにアクション監督はサモ・ハンですよ。なんで日本公開されないんだろう?こんなに面白いのに。リー・ビンビンのツンデレ美女剣士とか、絶対日本でも受けると思うけどなあ。

あ~!そうなんですか、しまった!公開まで待てば良かった!まあ、アメリカ発売日にブルーレイ予約購入してたんで良いんですが。是非みなさんは劇場で! RT @Yaeko_Mana: 日本公開決定済です。『王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件』というタイトル。 すごく楽しみ~!

試写日記
『別離』
アスガー・ファルハディ

ベルリン映画祭で金熊賞はじめ主要な賞を独占したことで話題の作品。たしかに抜群の出来映え。誰が見ても傑作だと思う。イスラム特有の問題も描かれてますが、それ以上の普遍的価値に達した傑作だと思う。

主題とその扱い方の見事さばかりではなく、映画的な形式への組み込みも素晴らしいと思う。イラン映画ファンからシネフィルまで、広く見られるべき作品。

ただ、その極めて高い水準を前提に話せば、個人的にこの『別離』が決して好みの作品ではないことも一方で事実。理由は明確ですが、出先でサラッと書くような軽い問題ではないので、また改めて。

『プロジェクト・ニム』
ジェームズ・マーシュ

昨年末の東京国際映画祭で上映されたドキュメンタリー。ずっと見たかった作品だったにも関わらず、その際どうしても都合がつかず残念な思いをしていましたが、ようやくアメリカでDVDがリリースされました。素晴らしかった。

生まれたばかりのチンパンジーを普通の人間の家庭で人間として育てるという70年代に実際に行われた実験に取材したもので、作品を見た誰もが感じるように、『猿の惑星:創世記』と非常に似通った部分があります。ペアで見るのがマストだと言って良いほど。

チンパンジーを人間の中で育てる、と一言で言っても、その中には実に複雑なプロセスやドラマチックな関係があって、一概に誰が善人で誰が悪人と決めつけることが出来ず、またそれを見る私たちも極めて複雑な感情の交錯を体験することになります。

精巧に編み上げられた長編小説を読むかのような作品だと言っても良いでしょう。実に複雑で、アンビバレントで、かつ強烈な感情の波に何度もさらされる。ドキュメンタリーの持つ力について、改めて考えさせられた映画でした。

ニムの「母親」として振る舞った人間は何人もいたのですが、彼ら彼女らは様々な理由でやがてニムから離れる。その後、人間として育てられた者には耐え難いような運命がニムを待っているのですが、そんな時、かつての「母親」が彼を心配して様子を見にやってくる。

すると、ニムは自分をこんな運命に置き去りにしたという怒りは一切見せず、ただ楽しかった時代を思い出したかのように、あの頃と全く同じ調子で話しかけ、外に出たい、遊びに行きたいと話しかける。でも、「母親」たちはその日の夜にはその場を離れ二度と戻ってこない。

彼ら彼女らが去った後、ニムは、それまで以上の鬱状態となってしまう。でも、何度同じ目にあっても、それでもニムは人間を許してくれる、という、このあたりでもう涙腺が限界でした。

試写日記
『私が、生きる肌』
ペドロ・アルモドバル

もんのすごく好みの物語で、もんのすごく刺激的な雰囲気で、もんのすごくワクワクするディテールにあふれた、もんのすごく大好きな監督の最新作だったのですが…、というあたりで、後は言葉を濁そうかと(笑)。

試写日記
『孤島の王』
マリウス・ホルト

よくできた、しっかりした作りの映画だと思います。物語も好み。

alltherealgirls2『すべてのリアルな女の子たち』
デヴィッド・ゴードン・グリーン

これは本当に素晴らしい!ノースカロライナ州にある寂れた地方都市の景観の中、悪さばかりしていた男の子グループの一人が恋をして成長していく姿を丹念に捉えた作品。すっごい良い!泣く!

ゼロ年代アメリカ映画作家で、最も影響力の強い監督の一人がこのデヴィッド・ゴードン・グリーンだって話は聞いていたのですが、正直ピンと来なかったんですね。と言うのは、彼がメジャーデビューした後の作品しか見たことなく、と言うか、それら含め一本も日本公開されてないんですが(笑)

ともあれ、彼が名を上げたインディペンデント時代の作品を見たのはこれが始めてで、確かにこれは素晴らしかった。抜群の演出力だと思います。と言うか、こんな作品、そうは見られない。日本映画とかでも、男の子がヤンチャしているようなのはいっぱいありますが、

社会や周囲の景観の中で一人の人間が生きて考えて傷ついて成長していく姿ってものをちゃんとした演出力で丹念に生き生きと、しかも説得力ある形でとらえた映画って、実はそうそう巡り会えない。こういうの、見とかないと駄目だと思いますよ。真剣に。映画のためにも自分のためにも。

主人公が口にする台詞で「僕の問題は君がやったことで生まれたんじゃない。それはmeとMeの間にあるものなんだ」ってのがあって、ああ、うまいなあ。男の子だなあ。青春だよなあ。みんな、こういうこと考えてきたんだよなあ、という。

心に響く映画ってものに、みんな臆病すぎないか?って改めて思うことがあるんですけど。でも、心に響く映画って確かに存在するんだし、そういうの見たいよね。映画はそればかりじゃないけど、でも、それも映画の美徳なんだから。

デヴィッド・ゴードン・グリーンの作家的な素晴らしさって、でもやっぱりインディペンデントで一番生かされるものなんだろうなって思いました。メジャーな映画じゃ、なかなかこういう作品は作れない。こういう作品だけ撮って、それで世界的に有名になって、

お金もそこそこ稼げて生きて行くことが出来ればそれが一番なんだろうけど、アメリカでもたぶんそれは難しいんでしょうね。

実際、彼がメジャーデビューしたからこそ、その作品が有名になって他の国でも見られたりした部分は大きいでしょうし。でも、メジャーデビューしたからこそ、同時に彼の最大の美点が損なわれてしまったという事実もあり、世の中難しい。実際、最近の作品はいまいちなんですよ。

ポール・シュナイダーとゾーイ・デシャネルが中心となるカップルを演じていて、とても良かったです。2003年の作品でゾーイはまだまだ若くて痩せてますが(笑)、演技はこの時点ですっかり完成されてる。

男の子と女の子が何もない場所で向かい合って立って、好きだよ、私もよって口にする。そういうのってたぶん最悪の演出プランだと思うんですけど(笑)、グリーンって、あえてそこから始めちゃうんですよ。

ゲ、マジかよ、とかこちらが思ってると、そこからその二人の言葉とか仕草とか空気感とかで、その抽象性がドンドン生きた現実の風景の一部、人生の一部、大切な記憶の一部へと変化していく。そのダイナミズムこそが、彼の作品の秘密の一つだと思いました。

『すべてのリアルな女の子たち』、超オススメです。デヴィッド・ゴードン・グリーンは、私もちゃんと見とかないと。

試写日記
『ファウスト』
アレクサンドル・ソクーロフ

相変わらず表現主義とか無声映画のイメージを大量に採取して、内蔵取り除いて天日に晒したような作風で、それをどうとらえるかで評価が違ってくるとは思いますが、かなり奇妙なものに仕上がってきてはいて、それはやっぱり面白いと思う。

試写日記
『ミッドナイト・イン・パリ』
ウディ・アレン

文句なくアレン最高傑作の一本!メチャクチャ面白い!サイのようなオーウェン・ウィルソンにひたすら親近感を感じる。冒頭から、そうなるしかないようなって落としどころにキチンと落としつつ、それに快哉を叫ばせるこの予定調和の見事さ!

アレンも『影と霧』の混迷からずいぶん遠いところまで来たものだとしみじみ思いましたが、『ミッドナイト・イン・パリ』、ホントに良い映画です。ああ、頑張って生きて行こう、共和党右派のクソオヤジみたいなのに負けてたまるか!って力がふつふつと漲ってきます(笑)。初日に見に行こう!

ブニュエルがらみのギャグが秀逸で、試写会では大受けでしたが、これはさすがに試写会だからだよね。マリオン・コティヤール、レア・セイドゥ、カーラ・ブリュニと、フランス女優も超豪華。しかも、扱いがとても丁寧。とくに、レア・セイドゥはすっごい得な役で、あれはみんな好きになるわ。

『タブロイド』
エロール・モリス

すっごく面白かった。米ドキュメンタリー界を代表する巨匠の近作ですが、『フォッグ・オブ・ウォー』なんかと違い、資本主義社会に生きる人々の奇妙な執着と欲望をコミカルに、そしていつしか恐ろしく描いたとても秀逸なノンフィクション・コメディになってます。

題材としては、ミス・ワイオミングに選ばれた若く魅力的な女性が、モルモン教徒のぱっとしない青年を彼が赴いたミッションの地から誘拐し、ベッドに縛り付けてレイプしたと報じられた事件に関して、その当事者である女性ジョイス・マッキニーなどにインタビューして構成したもの。

ただ、この女性の話がえらく秀逸で、とにかく自分の話をすることが楽しくて仕方ないと言った雰囲気。モリスはそれを決して裁いたりジャッジしたりすることなく、あくまで軽やかなタッチで多面的に繰り広げられる事実と狂言、思い込み、妄想のページェントとして見事に作品としてまとめ上げてます。

資本主義社会とタブロイドの時代に生きるアメリカ人の夢とその裏側とその執着と妄想への傾斜を、決して深刻に構えることなく、しかし実に鮮やかにえぐり出した作品だと言って良いでしょう。何よりコメディとしても本当に軽快で面白い。見事な構成力だと思います。

『グッバイ・マイ・ファースト・ラヴ』
ミア・ハンセン・ラヴ

これはとっても良い!ミアはダサいことだけはしない監督って印象があって、でも撮ってるのが人生の映画で、人生ってのはダサかったり気まずかったりすることばかりなので、だから前2作に関しては、良いけど、これは他人の映画だなと。

それに対して今作も前半はそんな感じで始まりましたが、途中からやや踏み込んだ部分があった(仲直りしようと近づく場面とか)ので、だいぶ好きになりました。

まあでも、あの前半の感じは正直ついて行けなかったけどね(笑)

あまのっちが急速に成長して、ミアのこのレベルをいつか超えると良いのになって普通に思った。ハッ…いかん!これじゃ自主映画シンパシー映画批評家の立ち位置だ!(笑)

『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』
リチャード・リンクレイター

マーキュリー劇団の旗揚げを背景にした青春映画だろうなと思いつつ見て、確かにそうなんだけど、ここまでウェルズを正面から描いた作品になってるとは思いませんでした。面白かった。みんな見ると良いと思います。楽しいです。

原題の「Me and Orson Welles」が正しく内容を表してると思います。俳優志望の青年が偶然ウェルズと彼のエネルギーに満ちあふれた狂奔的世界に巻き込まれて、年上の女性と恋をして、未来の希望に夢を膨らませて、華やかな世界を垣間見て、その醜い裏側も知って、でも前を向いて歩いて行こうという感じ。

正しく青春映画ですね。こういうの大好き。リンクレイターの演出も、ウェルメイドにまとまった作品を狙っていて、華やかさや突出した部分はないですが、ウェルズとその周囲の人たちの面白さ、演劇への熱狂、時代のエネルギーといったものを十分伝えるのに成功していると思います。

知識も教養もある連中が、ものすごい勢いでバカやってるって感じが良いんですよね。ウェルズはじめジョン・ハウスマンとかジョゼフ・コットンとかみんな出てきますけど、それぞれキャラクターをキチンと踏まえた上で物語に生かされてるので、物まね合戦には全くなってません。

ウェルズ役のクリスチャン・マッケイと年上の女性を演じるクレア・デインズが良かった。あと、小説家志望の女の子役で出てくるゾーイ・カザンも。彼女と主人公の若いカップルはとっても好感度高かった。以前書きましたが、ゾーイはエリア・カザンの孫で、ポール・ダノと現在つきあってます。

『ドライヴ』と『シェイム』

『ドライヴ』はすごく面白かったんだけど、個人的に「男の美学」的なものに抵抗あるんだよなあ。あの作品の場合、アメリカ70年代くらいのジャンル映画のゴツゴツ感と結びつけて自分を納得させることは出来るんだけどもね。

「男の美学」映画にも「女の美学」映画にも、どちらも正直抵抗ある。たいてい、一回ゲッとなって引くんだけど、映画的に面白かったり素晴らしかったりすると、そこから改めて引きつけられる。ただ、それを他人に勧めようとするとき、その自分の生理がどこかで言葉に影を落とす(笑)。

ニコラス・ウィンディング・レフンは『ヴァルハラ・ライジング』がモロ男の美学&美学系の映画で、正直見てるのが苦痛だったんですが、あ、これも公開するみたいですね。ともあれ、そうした自分の趣味とか作家性をアメリカ映画のジャンル感という殻に包んで成功したのが『ドライヴ』かなと。

『シェイム』を好きなのは、あの映画がそうした男の美学&80年代風ポストモダン美学映画のセルフパロディになってると思うから。だって、セックス中毒だよ?(笑)うちら、こういう趣味のものですけど、って部分の思い入れとか陶酔とかをあられもなく即物的にスクリーンに投げだそうとしている。

だから、それは当然共感なんてできない。共感を主題とした共感できない映画を撮ろうとして、でも悪意の方にまでは行かない慎ましさと言うか一歩引いた感じは今っぽくて良いと思うなあ。

でも、男の美学映画に陶酔する男性を批判したり馬鹿にするのは簡単だけど、女の美学映画に陶酔する女性に水を差すようなこと言うのも難しいよね(笑)。ま、これは女性批評家の皆さんの仕事でしょうか。

『イントゥ・ジ・アビス』
ヴェルナー・ヘルツォーク

8日後に処刑が予定されたマイケル・ペリーのインタビューを中心に、死刑問題を扱ったドキュメンタリー。ヘルツォーク自身は冒頭で自ら述べるように死刑反対の立場ですが、この作品はそうした政治的主張のプロパガンダではありません。

実際、ここで取り上げられる、ペリーが関わったテキサスでの3人の殺人事件(彼自身は直接自らが手を下したことを否定していた)はあまりに無慈悲かつ残虐なもので、それは警察の収めた記録映像と共に詳細に語られますが、正直、正視に耐えない部分さえあります。

死刑を宣告されたペリー、そして終身刑となった彼の友人ジェイソン・バケットの二人のインタビューを中心に、この事件に関わった多くの人たちのインタビューが示されていく中、しかし、作品の興味はそれが殺人であれ死刑であれ、人の命が奪われることの重さであり残酷さです。

唐突に命を奪われた被害者、その残された家族の悲しみ、あるいは理不尽な犯罪への怒り、そして自らも獄中で息子の犯罪を知り、法廷で辺り構わず号泣したというバケットの父親。ここには、他人の生死を決定することについての抽象的議論ではなく、あまりに厳しくつらい事実の重みがあります。

わずか8時間分の撮影フィルムから作られたというこの90分の映画には、しかし無駄なショットが一つもありません。『イントゥ・ジ・アビス』は、他のヘルツォークの最良の作品同様、きわめて重く、厳しく、そしてあまりにも美しい映画です。

試写日記
『少年は残酷な弓を射る』
リン・ラムジー

「We Need To Talk About Kevin」と全く違うのでどうかと思った邦題ですが、いやこれはピッタリかもですね。萩尾望都感というか(笑)、そういう期待にもガッツリ応える作品かと思いました。面白かったです。

社会的問題を背景としつつ、それをあくまでパーソナルな視点、とりわけ殺人鬼の母親という極めて特殊な視点から描き出した作品で、親子関係の愛憎裏腹な支配ゲームとか、インセストタブーの匂いとか、まるで悪が具現化したかのような背徳的美少年とか。そういう映画。

少年の友人とか学校がラスト近くまでほぼ一切出てこない、さらにそれを言うなら、母親が現在身を置く現実と、こんなところにはいなかった筈の本来の自分という夢のほぼ2つしか映画には存在せず、その中で事件前と事件後とがあいまいに溶融しながら示されていく感じ。その徹底ぶりは面白い。

映画全体の構造とかスタイルも、そのあいまいで言葉にできない愛とか憎しみとかモコモコ描くことに重心を置いていて、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドの音楽がかなりポイントになってました。

サスペンスとか犯罪映画、フィルムノワールのファンとしては、とは言え一旦事件が起こってしまうと、そこでは取り返しの付かない社会性とか世界というものが露呈するし、その瞬間を見たいとも思ってしまいますが、まあそれは最後の最後まで明確には現れないという作りのストーリーではあります。

あと、ティーンエイジャーになってからの少年がガクトの十代の姿にしか見えない(笑)。声もそっくり。そんな少年が裸で弓を引いたりウンチもらしたりするんだよ(笑)。金髪の愛らしい少女がアイパッチしている痛々しい姿とか、いろんな嗜好をお持ちの方にアピールしそうだ(笑)。

そうそう。『少年は残酷な弓を射る』の冒頭って、日本映画の端正な青春映画にありがちな映像&音響で、それを悪意で置き換えるって趣向はなかなか悪くないと思いました。

もう一つ。ティルダ・スウィントンが全然似合わないダブダブのレッド・ツェッペリンTシャツ着て出てくるのですが、物語が進むと、さりげなく別の人物が同じ服着てる場面あったりして、その隠された意味が分かるという。女性監督らしい細やかな気配り演出ですね。

そうだ。昨日書いた『少年は残酷な弓を射る』の<社会性が露呈する瞬間>問題なんですが、少年的にはそれはラストまで曖昧で、でもティルダ・スウィントンにはあるんですよね。ただ、それって近所のお母さんからいきなりビンタされたり意地悪されたりするって瞬間で、これはつまり、具体的な人間の繋がりとしての社会性であって、いかにも女性的なものだと言うこともできると思うのですが、ただ、幻想とか夢とか悔恨とかが現実とない交ぜになったボーッとした状態から現実に引き戻される瞬間って、やっぱロングだろうと思うんですけど、この映画はそこまでカメラを引かないんですよね。

それはやはり社会性=多くの他者が行き交う即物的な空間という発想が男性的なものでしかないからなのか?それとも、その男性的発想によって築かれた映画のダイナミズムを無意識にこちらが欲してしまうからか?あるいは、それはやはり映画の重要な部分に触れる問題であって、その欠如はこの作品の限界として指摘されるべきなのか?はたまた、こうしたパーソナルの延長としての社会性が新たな映画の魅力として開拓されることに期待するべきなのか?(この作品はそこまで達していないと思う)

このように、一本の映画を取り上げその価値を検討するというのは、常に数多くの実に困難な問題を孕んでいるのです。無数の逡巡と決断を背後に抱えた言説の厚みこそ、映画批評と呼ばれるべきものの本当の魅力だと私は思います。

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