セルジュ・ダネイと映画批評の現在

先日、アンスティチュ・フランセで、セルジュ・ダネイと映画批評の現在をテーマにした討論会を見に行った感想ですが、その中で、映画を巡る議論がもっと活発にあって欲しいという坂本さんの意見と、批評家同士が単にプライドのために角突き合わせても映画に近づくことはできないというジャン=マルク・ラランヌさんの意見がありました。

ここで、私は基本的に坂本さんに賛成なのですが、これは勿論、日本とフランスとの環境の違いに起因するところも大きいですよね。つまり、フランスではほっといても映画を巡る議論が喧々諤々に繰り広げられるのに対して、日本ではまずそうはならない。それぞれ静かに映画と向き合っているという訳でもなく、茫洋とした得体の知れない気分や雰囲気が支配する中で、声の大きな者に流されたり、有名な映画評論家に付和雷同したり、同調圧力の中で微細な違和感や異なる意見が封殺される場合が多いです。しかも、声の大きな側に立つ者ほど、なぜか攻撃的で居丈高になるのがこの国の特徴。あれはいつも不愉快に感じてます。なので、まずは議論がもっと活発にあった方が絶対良い。

ただし、ある場面から以降は、私もラランヌさんに賛成です。つまり、これだけ高度に記号化社会が進んでくると、同じ映画に対してそれを好きな者と嫌いな者との間で、全く逆の論理展開によってそれを擁護することも貶めることもできるし、しかもそれぞれ説得的な議論になり得るということを、私たちは既に十分知っちゃっているわけです。

とは言え、じゃあ映画を巡る言説が不毛かというと、それもそんなことはない。だから、たぶんこれは、映画と向き合い、それを自分の中でどう言葉にするかという営みと、それを見る自分自身が一体これからどういう方向へ向かおうとしているのかという営みとが、決して一つのものとなることがないまま、しかし一定の関係性を持ちつつその間にいかなる折り合いを付けていくかという実践的な課題へと収斂していくのではないかと思っています。

映画を見つつ、映画を考えつつ、映画とそれを見る自分の場所を探っていく、ということですね。言葉では簡単ですが、これは実際のところ、なかなか難しい。

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