『頭のない女』

0DotDashメルマガで井上さんが書いていたので、久しぶりにルクレシア・マルテル『頭のない女』を再見。日常の些細な出来事の見事な演出ぶりと、現実感が希薄化していく瞬間とのあわいをある種のミステリータッチで繊細に描いていて見事だと思う。

現代映画の批評的な座標軸とか勘所を知るためにも、こういう重要作はやはり公開されなくてはいけない。というか、端的に言って、ここでマルテルが何をやっているか分からないようでは、国際映画祭の場で闘うことは難しい。それほど、様々な現代映画の問題がここに集約されている。

現実の「痕跡」とそれらをホワイトアウトさせていく何ものかの「力や趨勢」との闘争を描いた作品との言い方もできるし、それは井上さんも書いていた通り軍事政権を経由したアルゼンチン固有の問題であるが、と同時に、私たちにも共通するきわめて現代的な病であるとも言える。

ただし、それを単なるお題目ではなく、車のウィンドウ越しに見られた、雨に濡れた風景(生活、生命)の滲みのようなものとして見事な映画的体験へと昇華しているところに本作の醍醐味はあると言って良い。現実への繊細なまなざしとそれをスクリーン上で表現する確かな演出力、造形力の全てに学ぶべきところがある。

映画を見た後、あれこれ考えたり、人と話すことでさらに深みを増していくタイプの映画だとも思う。後を引く作品。

クレール・ドゥニの『ホワイト・マテリアル』あたりに感じるのと同じタイプのじれったさはあるんだけどね。何というか、全部もうあと一つ何か欲しいって感じというか。これは趣味の問題かもしれませんが。

もちろん、それは意図的・戦略的な「じれったさ」であり靴の上から足を掻いているような感覚であったりはするわけですけど、うーん、それと映画的な突き抜け方は同居しうると思うんだよな。でないと、現代映画は不能でしかあり得ないってことになっちゃうし、それは経験的事実と反するから。

最初に見たときも、ああ良いんだけどな、面白いんだけどな、これは自分ならもう一つこうやってこうやって、みたいなことばかり考えていたのを思い出しました。でもまあ、そういう意味も含めてこれは必見作であるのは絶対間違いない。

ルクレシア・マルテル『頭のない女』予告編 http://www.youtube.com/watch?v=J31Fha1qElA

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