映画と新たな価値圏創出の話

整形外科、一時間待って診察三十秒。患部なんて一瞥しただけ。出された薬もステロイドと別の湿布でこれも完全に予想通り。今は処方箋薬局でおばあさんたちの世間話をこれから三十分聞かされる。

結局、整形外科のような場所は対面販売と処方による安心を軸にした経済になっていて、お年寄りのコミュニティを発生させるなどの副産物はあるけど、今の社会のスピードや効率性とは全く別の価値体系になってるし、そこに行く限りそのルールに従うしかない。

そこで安心が大きな価値となるのは、お年寄りにとって健康という希少財を扱うからであり、その喪失という危機感を日々感じさせられるからであり、お年寄りは比較的経済的に恵まれているから。比較すると、映画館が扱う映画は体験としてコモディティ化してるし、価値の創出はなかなか難しい。

フィルムの危機や映画らしい映画の喪失といった映画関係者の危機感は、テレビやネットによって映像音響体験が飽和した社会の中で大きな説得力を持つことは正直難しい。あれとこれとは違うという価値の産出を行ってきた批評もまた、テキストと情報の飽和の中、自らの存続さえ危機に晒されている。

私はもともとジサッカーなので、パソコンはありふれた汎用パーツを組み合わせてフリーないしそれに近いソフトウェアを複数組み合わせ自分の目的に応じてカスタマイズすべきものって発想があり、だからMac文化は好きじゃなかったのですが、しかし間違いなく勝利したのはAppleの方だと分かってます。

つまり彼らは、特殊で高度な専門知識や目的意識の明確化なんてものを持ち合わせない一般の人々に対して、排他的に統御されパッケージ化されたデジタル環境=アップル文化という価値創出を行い、それで商売したわけで、まあ今後に関しては不透明でしょうが、一方、現時点で自作業界は壊滅状態だからね。

問題は、パソコンはかくあるべしって本質論ではなく、パソコンを使ってどのような価値を新たに生み出し、それで商売するかってことであって、これはパソコンを映画という言葉に置き換えても全く同じ。

映画は芸術(文化)か経済(娯楽)か、なんて話がしばしば蒸し返されますけど、実はこうした立論の仕方自体が文化的なのであって、そこで後者を選んでも所詮は同じフィールドでの価値転倒にすぎない。問題は、映画を経済的問題としてとらえた時、どのような価値をそこで創出し商売するか。

だから逆説的なんだけど、映画は芸術(文化)であるという切り方自体が経済的に機能する場合もあるんだよ。面白いのはそういう問題だと思う。

サラリーマンだって、今やってる自分の仕事が商売にならなくなってきたら、新たな技能やスキルを身につけてキャリアアップを図るわけで、映画だって映画監督だって映画館だって映画批評家だってそれは同じだと私は思ってる。問題はその明確な道筋を作ることであり、それを支援すること。

バナナが誰でも食えるようになったら、人は勿論バナナ食うけど、それでテンション上げたりしない。バナナが日常化した時代の新世代バナナとか言っても、それが新しい価値になるのは旧来のグルメ主義=エリーティズムへの差異に過ぎず、同じフィールドで商売してるだけ。新たな価値圏は生んでない。

今のバナナという言葉を映画に置き換えて考えてみよう。そして、新しい価値圏の創出とは何かについて考えてみよう。

新しい価値の創出を装った価値の転倒=差異化が意味を持つのは、その価値圏全体の健全性が保証されている時だけ。それら全体が崩壊しようとしている時に重要なのは、もはや本当の意味で新しい価値圏を創出することだけだと思う。

今の日本は映画監督多すぎでプロデューサーこそが不在だって話は以前から色んな人が言ってますが、私はちょっと疑問を持ってる。映画監督大杉はそうだとして、この意味でのプロデューサーの必要性ってのも、映画が従来の商売として機能していること前提の話。で、それが崩れてるって思う訳。

映画監督は文化だの芸術だの高尚な話ばかりで商売として非合理。だからオレが金の儲け方を教えてやるってのがプロデューサーの仕事の一つだとして、でも実はそれ自体が非合理で粗いものであったからこそ色んな隙間に面白い娯楽映画が生まれたってのが一つのテーゼ。でも、それ自体既に過去のもの。

金儲けってのは結局価値の差異を掬い取るものだから、その編み目はどんどん細かくなり精度を高める。IT時代はそれを飛躍的に増進させた。ハリウッドは既にかなりそうなってますが、今でも若いプロデューサーがいかにしてオバマの選挙戦術から学ぶかってティーチインが行われてたりしていて、今後さらにその傾向が強まる。

はるかに精度を高め大規模になったコンビニの顧客管理みたいなものがドンドン商業映画の世界を支配していこうって時に、たとえばロジャー・コーマンをその世界へのアンチとして現実的に掲げるのは難しい。それはもはや理念や理想の存在ないし歴史的存在って事で、作家主義と別に変わらない。

逆に言えば、ロジャー・コーマンをいま映画祭で取り上げるのは、だから正しいわけです。

芸術映画と娯楽映画の対立なんてものはもはや全く問題ではなくて、グローバル資本主義の世界と映画の世界との対立こそが現在私たちが直面している問題なんですよ。そこで、どうやって新しい価値を創出し、新しい経済を生み、そして文化を継続させるか。

でもね、実は今の映画の世界にはブルー・オーシャンがいっぱいあると思ってるんですよね。なにせ、映画は『青い青い海』ですから!

RPGとかでもね、これ以上幾ら経験値稼いでも先に進めないって場面があるんですよ。そういうとき人はどうするか?ジョブチェンジでしょ!それも、ナイトからウィザードではなく、ステータスをある程度引き継げる上級職パラディンとかになるわけですよ。ゲームでできてなぜ現実でできない?

ただ、パラディンになるとレベルは一旦クリアされる。そうすっと、お前はLv1か!オレはナイトLv30だぜ!って言ってくる奴が必ずいる。でも、君はナイトで私はパラディンなんだよ。大事なのはゲーム後半の展開を視野に入れることだ!

(そうそう、ナイトは一旦クレリックとか経験しないとパラディンに転職できない、とか、そういうテクニカルな話はやめましょうね(笑)。ゲームと違って、人は生きてると実際には色んなジョブを経験してたりするもので、その総合として上級職になれたりします。ま、足りてなきゃ足すだけ。)

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

コメントをどうぞ

XHTML: You can use these tags: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>