桐島とスカイフォール

そう言えば、『桐島、部活やめるってよ』を最近ようやく見ました。(自分内)流行の言葉で言えばポストモダンブカツな映画で、誠実で良心的で良いところも色々と発見できる作品だとは思いますが、私は好きじゃない。

中心が不在であることのエッジがまるで立ってないモコモコした構成で、それは題材と世界観が要請するものだろうとは思いますけど、であるならば、私はその題材と世界観が好きじゃない。

で、こちらも今頃ですが『007/スカイフォール』を見たら、これが『桐島』とは真逆の映画で、いや、予算もジャンルも真逆だろう(笑)という話はありますが、それとは別に、映画ってのはどういう世界の中で何を私たちに見せようかという問題がとても大きいよなあ、などと考えた。

『スカイフォール』も『桐島』も共に不在の中心から始まっていて、あらかじめこちらの情熱や意欲の全てを萎えさせてしまうようなgoogle世界に対してどう振る舞えば良いのかって問題が描かれていると言って良い。『スカイフォール』はその中で、バック・イン・タイムが主題となる。

バック・イン・アクションと言い換えても良い。自分の時間を取り戻し、自分の行動に賭けること。クラシックなアクション映画の王道ですが、だからこそそれは楽しい。それに対して、『桐島』の方は「誠実で良心的」と書きましたけど、それって言い換えると小心で周到すぎるとも言えると思う。

橋本愛の扱いに典型的ですが、つまりこんな可愛い子がさえないボクの方を見てくれるわけがないという先入観に沿う形で、それを裏切ることなく、つまり空気を読んだ上でヒロインにするというひねくれた手を使っていて、それって今の時代の空気としては正解なんだろうけど、

であるのだったら、映画は別に時代の空気に対して正解出さなくて良いと思う。この誠実さ、ないし小心さが奪っているのはアクションであって、それは土曜日のバレー部の試合場面の醜悪さに現れている。スポーツを描いてあそこには完全にアクションが欠落していた。それは映画にとって致命的だと思う。

中心が不在のまま「想い」でつながっていく今の時代の日本の作品って、つまり空気をとてもよく読んだ、言い訳が既にできている映画なんだなってことをあらためて考えた。でも、私はバック・イン・タイム、バック・イン・アクションでいたいと思ったし、それが映画の魅力だと思っている。

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