インディペンデントの戦い方

映画ってのは贅沢だと思うんですね。良い映画ってのは贅沢で作られる。言い換えれば、資本主義的な暴挙です。そしてその贅沢とは、例えばお金であり時間であり飛び抜けた才能。才能はちょっと別の基準だからひとまず考えないとして、じゃ、お金か時間かどっちを潤沢に用意するか。

現代は、時間がお金になる時代です。だからこそ、お金の無い人間がこの時代において暴挙にコミットするには時間を使うしかない。時間を使って、そしてその使った時間が贅沢なものとして昇華されるためには、相応の戦略を考える必要がある。これがインディペンデントってことだと思う。

例えば、ハリウッドで湯水のように資金費やして作り上げるようなものをお金の無い人間が気の遠くなる時間使って真似ることにどれだけ意味があるか。もちろんそれも資本主義的暴挙だろうけど、効率的とは言えないし、(映画の)未来もあまりない。本人はうまくすればチャンスあるかもだけど。

また、かつて贅沢な時代の映画に可能であったこと、たとえば世界そのものの構築を現在の状況で試みたところで、それもまた非常に厳しい。なぜなら、映画は常に過去の名作と同じスクリーンという場所で観客のチケット代と鑑賞時間という同じリソースを奪い合う必要があるから。

「世界そのものの構築」ってのは、例えばグリフィスは勿論そうだけど、ブレッソンだってそうだし、小津もそう。

このように、インディペンデントには難しいことがたくさんある。やっても良いけど、効率的ではないし、未来も世界的な注目を得ることも難しいってこと。でも、じゃあそれは貧しいのかって言うと、全然そんなことない。ハリウッドや昔の映画を基準とした価値体系から頭を切り換えること。

ブレッソンや小津あたりは、勿論見るべきだし、大きなヒントにもなるだろうけど、同時にインディペンデントにとって躓きの石になりかねないよね。あれはなかなか危ない。その贅沢の本質を見極めないまま、贅沢から放逐された世界の人間が贅沢を形だけ真似ることになりかねない。

例えば現在、アメリカなんかのインディペンデント映画は非常に多様であり、様々な可能性に満ちている。かつての映画のような世界構築は難しいかも知れないけど、今ここから始められることは沢山ある。そしてそれは、かつての映画とは別の、でも同じように重要な試みを可能にすると思う。

単に世界へと視線を広げてみること。これってとても大事なことだと思うよ。垂直に深みを持った視線、世界の深淵へと降りていく視線ではなく、横へ横へと拡がっていく視線を擁護すること。そのためのフットワークを養うこと。日本の映画人って、みんな尻が重すぎる!

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