世界を相手に(と共に)闘うために

80年代頃から日本の文化が世界最先端に躍り出て刺激的なものを次々に生み出したのって、その背景には海外文化が怒濤のように押し寄せてきたからってのがあって、これは戦後にドッと入ってきたアメリカ映画を浴びるように見たフランスの若いシネフィルがヌーヴェル・ヴァーグ起こしたのに近いけど、その後、不況になって今や誰もが知るように海外の新しい文化はなかなか紹介されなくなった。それでも音楽とかは言語関係ないしむしろネット時代のアクセスの容易さに助けられると思うけど、映画はやっぱ言葉の壁が大きくて国内外の情報格差がすさまじく広がってきてる。これは怖い。

しかも、映画批評家やライターでさえ国内に残った映画ビジネス内部で生きてるから海外の情報とか知らない人が殆どだし、そんなこと知らなくて良いんだ、映画は大衆と共に生まれるものなんだって保守的&反動的ロマンチシズム振り回す人ばかりって現状で、何度も書いてるけど私は大変危機感持ってる。

と言うか、若い人はもっと危機感持たないと駄目だよ。これは本当に危険な状況だよ。日本語しか出来ない人が日本の中で日本サイコーって唯我独尊に思い込んでるのって、別に排外主義者ばかりにとどまらないんだから。ほぼみんなそうなりつつある。文化やアートや映画でさえ同じってのが恐ろしい。

と言うのも、今映画も本格的にデジタル時代に入って、明らかに新しい表現や感性やスタイルが世界的に生まれつつあるのよ。それ知らずに恐竜時代のロマンチシズムで恐竜時代の映画を恐竜とは比べものにならない貧弱な肉体で生み出し続けても、それはなかなか世界相手に闘えないよ!

フィルムと共に自分はもう死んでいきますって覚悟決めた老人は良いのよ。明確な意志を持ってそうやってる偉い人もいるし、その気持ちはとってもよく分かるから。でも、それはそれであって、若い人は同じこと考えてちゃ駄目でしょ!デジタル時代の映画を生きてかなきゃいけないんだからさ!

以前、ユーロスペースの堀越さんにインタビューしたときにも、私たちは今映画史上最大の革命に直面しているって話を聞いて、これは他にも多くの人が述べているのですが、確かにものすごく大きな変化が起きているし、次々に新しい試みが生まれ、別種の可能性が模索されてると思う。

そうした変化のただ中で人はどういう態度を取りうるかって問題に関してよく言及されるのはアドルノとベンヤミンで、つまり芸術の深遠を見つめ浮薄な現在を蔑視することで、しかしまさに自らの足下で生まれつつあった映画という新しい芸術の誕生をみすみす見逃してしまったアドルノか、それとも軽薄の誹りを怖れずきらびやかな現在にとことん寄り添い、その最良の可能性を見出すことを志したベンヤミンかって選択であって、もちろんここには現在であるからこその反転や捻れもある訳で、ベンヤミン的であるためには時にアドルノ的言説に与する必要もあるように思うんだけど、でも、根本的な世界への応答の仕方として、やはりこの両者の対立図式は現在でも有効であると思うし、そこで私はもちろん基本的にはベンヤミン的でありたいと願ってる。

You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0 feed. You can skip to the end and leave a response. Pinging is currently not allowed.

コメントをどうぞ

XHTML: You can use these tags: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>