世界を相手に(と共に)闘うために #2

昨日、日本ヤバイ、文化も映画もヤバイって話書いたら、もう海外に出ないとどうしようもないってコメント幾つかもらって、それは現状としてある程度その通りだと思うし、実際、私の周りの若くて優秀な人はどんどん留学したり海外に出て行ってる。

で、可能なら是非そうすべきだと私も思いますが、ただ、本質的な部分では海外も日本も変わりないってことも考えるべきだと思う。日本特有の問題もあるけど、でもバブル期のような特殊なことは世界的にあまり期待出来ないし、それは日本に限ったことじゃないってこと。

例えば、昨日書いた『エイプ』のジョエル・ポトリカス監督だって、今や世界中の映画祭で引っ張りだこになってますけど、最初にロカルノ映画祭にエントリーした時なんて、渡航費なくて卒業した映画学校にサポート頼んだらTシャツ2枚渡されて、これ売ってお金にしなさいって言われたらしい(笑)。

シェーン・カルースの処女作『プライマー』だって製作費たった70万円だよ?バイトで稼げる額だよね。ただし、彼は完成までに数年かけていてその間ものすごいエネルギーと時間をそこに注ぎ込んでる。だからこそminiDVで編集した作品がハリウッド映画に負けず世界中で話題になった。

実際、彼はハリウッドからも熱い注目を浴びて、ソダーバーグやデヴィッド・フィンチャーのプロデュースで数十億かけたSF大作を作ろうって話でその後10年動いたんだけど、みんな君の才能はすごいって言うくせに全然財布のひもを緩めようとはしなかったって(笑)。

で、諦めた彼は自力で数百万円集めて『アップストリーム・カラー』作って、これがまた世界中で年間ベストテンにランクインするほど賞賛を集めて、彼は今回配給も全て自分でやってるから、その資金でまた次の作品を撮ろうと準備してる。

だからアメリカでもポルトガルでもフランスでも、本質的には変わらないのであって、つまりいわゆる顔のないシステムに属する蜃気楼のような1%と私たち99%の戦いがそこにある訳ですよ。その世界的な戦いの現状が何故か見えない日本って問題はあるけどね。

1%に入りたい、実際には入る手前で抜け殻になるまで搾取されて終了かもしれないけど、それでも1%に入りたいって人はそうすれば良いと思う。でも、それだけが私たち99%に許された可能性だというのではあまりにも希望がないよ。

実際、今の映画業界の人と話していても、その目線は全然若い人の方に向いていないから。もちろん、中にはまだまだ良心的な人や良質な文化はあるから侮っちゃ駄目だけど、でも本質はそうだよ。過去を向いてる。だから、そこからステップアップしてって夢を描いても現実厳しいと思う。

1%だけを目指して、憧れて、夢を抱いて、そして必然的に絶望するからこそ、私たちは孤独や疎外感を感じるし、シニカルにもなっちゃう。でも、逆に言えば同じ孤独を感じている人は世界中にいる訳であって、なにせ私たちは99%もいる訳です。圧倒的です。だから、その中で繋がれば良いわけです。

もちろん、99%の人間と繋がる必要は全然なくて(笑)、逆にそれだけ数がいるわけだから、その中で繋がるべき人を厳選して繋がれば良い。と言うことはつまり、自分もまた相手から選ばれる人間にならなければいけないってことだけどね!

こうした自覚と幾つかの必要条件さえ満たせば、私たちは素晴らしいインターネットとSNSの時代に生きてるんだってことを驚きと共に発見すると思うよ。孤独な場所で自分一人で何かやってた人が、次の瞬間には多くの人々と連帯してしまっている自分に気づく。それが今だと思う。

で、私は今そういうことの手伝いをしたいと思って、昨年からずっとひそかに動いてます。去年、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスのレトロスペクティヴをインディペンデント映画祭として自力でやって、こうした試みが世界的にもものすごく意味のあることだって分かった。いろんな可能性が見えた。

その可能性を、だから今度は多くの人たちと共有したいと思ってる。そしてそれが、99%の私たちが1%を目指さず、芸術的野心を捨てず、そして人間性を捨てず、でもチャンと自分なりの充実感と手応えを持って生きていくことのできる道の一つになれば良いと思う。

あと、シネフィル×アンチ・シネフィルって下らない対立図式はそろそろやめようよ。シネフィルに問題あるのは事実だし、膨大に映画見なくても映画作れるのも事実だけど、でも、他人の作った素晴らしい映画知らずに自分だけは良い映画撮れる才能あるって、その根拠はどこにあるの?

それに、アーティストとか映画作家とか批評家とかってのは、そういう溌剌とした興味や好奇心を備えているべき人種じゃない?そうあって欲しいと思うし、逆に言えば、少なくとも私はそういう人にしか興味ないな。だいたい、映画に関わる人間が映画見てなくて、じゃ、誰が映画見るわけ?

もちろん、誰しも膨大な可能性の中から常に選択して生きているわけで、全てのものに関心を寄せる必要なんて一つもないけどね。

それに、国内であれ海外であれ、とりわけ国際的関係においてそうだけど、映画の世界の人間は映画の話することでお互いの場所を確認し合うし、友達になるわけ。それは国際映画祭で爪痕残すための戦略じゃなくて、あるいはそれ以上に、映画の世界で生きることの本当の意味じゃないかな?

アメリカとかポルトガルとかフランスとか中国とかで映画やってる面白い連中と友達になること目指して映画作家や批評家やる人が国内にもっと増えて欲しいと本気で思う。

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