『それでも夜は明ける』

12-Years-A-Slave-Movie『それでも夜は明ける』スティーヴ・マックイーン:試写逃しちゃったので、ようやく見ました。すでにアカデミーはじめ多数の大きな賞に輝き賞賛に包まれている作品なので改めて言うまでもないですが、これは確かに素晴らしかった。マックイーン作品としても完成度が図抜けて高い。

現代映画の一つの傾向として、ある極限状態の中で人間性を奪われ動物や物として扱われる人物への執拗な凝視を通じて、フィルム体験を圧倒的な強度の中に置き、観客を同様の状況内部に引きずり込むというものがあります。ペドロ・コスタや王兵が典型的ですが、マックイーンもまたそれに近い。

ハンガーストライキを描いた処女作『ハンガー』はまさにそうした作品で、ただマックイーンの場合、現代映画のエッジを保守的な物語映画の中へうまく折衷的に取り込む技術にも長けていて、それが今回の大成功へと結実したように思う。それが良いことか悪いことかは議論されるべき問題として。

(こういう議論はちゃんとすべきだと思うんだよ。)

ただ、日本タイトルの『それでも夜は明ける』は個人的に違うと思う。黒人奴隷問題を扱った作品ですが、白人による黒人の奴隷化と搾取と人間性の剥奪という問題以上に、同じ状況に置かれた筈の黒人同士さえ隔てる(カポ問題にも近似する)支配システムの残酷さこそ描いていて、

だから主人公が奴隷から解放されることが決して単純な勝利のカタルシスを観客に感じさせることがなく、それこそこの作品の主眼となっているから。

また、ポール・ダノ(最高!)らに縛り首にされそうになった主人公がそのまま苦痛に耐えつつ長い時間衆人環視(他の奴隷は手出し出来ない)の中で絶え続ける姿など、この作品で最も美しく、かつ凡庸なメロドラマからは限りなく遠い場面でしたが、あれもまた同じ主題に基づいてる。

マックイーンとしては、だから彼の作家性が最も活かされた成功作になったと思うのですけど、ただし、一つ思うのは、こうした極限状況下における人間性の剥奪=フィルム体験の強度という映画メソッドって、本質的にマージナルやマイノリティ、地方へと向かわざるを得ないんですよね。

勿論それが悪いわけじゃないですし、また、マージナルであればあるほど映画は世界的なものになるってルノワールの言葉に忠実だとも言えるんですが、でも同時に映画はやっぱり現代世界をその真ん中で描きたいって野心が一方であると思うんですよ。そこが引っかかる。

(こういう議論もちゃんとすべきだと思うんだよ。現在の日本の映画界隈って、こういう現代映画にとって最も重要な筈の議論が根こそぎ欠けてると思う。)

で、マックイーンの第二作『シェイム』はそれをやろうとしたと思うんですね。つまり、セックスアディクトという切り口を使うことで、極限状況映画メソッドを都市の映画として、ある種のメロドラマのタッチと共に発展させようとした。

必ずしも成功作だとは思いませんけど、でもその作家的野心は理解出来るし、面白いと思った。で、ジョアン・ペドロ・ロドリゲスの『ファンタズマ』は、同じラインでたぶんずっと成功した作品になってると思う。自分が公開したってこと抜きにしても、あれはきわめて重要な意義を持つ傑作です。

マックイーンとしては、今回の作品が主題的にも、自らの本来の作風と保守的なドラマ映画との噛み合わせという意味でも、あらゆる意味でうまく運んだ作品になったとは思いますが、今後どうなるかはまだ微妙ですね。ハリウッドのシステムに入っちゃうとまた難しい部分も出てくるでしょう。

ちょうど良い規模と主題の作品に恵まれ続ければ良いなあと願います。まあ、それが現代社会においては一番難しいんだけど。ともあれ、『それでも夜は明ける』は素晴らしい作品なので、未見の人は絶対に見るべき。

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