N10Y

数年前から分かってたことだし、これに向けて準備も進めてきたんだけど、やっぱり今の日本ではもうちょっとでも非効率なものは全て切り捨てられてしまう。映画ならブロックバスターだけ、文化は萌えやアイドルだけ。それらが悪いと言うんじゃなくて、それ以外がもう何もなくなってしまう。

これは勿論経済的理由ですけど、でもそれをほぼ国民全体で推し進めてる。政府がって言うんじゃなくて、雑誌などのメディアから文化人からネットに至るほぼ全てがその方向性を加速させてる。抵抗している人たちはあちこちに少しずつはいるけど、それは形にならないし力も持っていない。

でも、じゃあそこで切り捨てられるものを愛している人がいないかと言うと、そんなことは全然ない。それはちゃんと一定数いる。多くはないけど無視できる数でもない。ただやっぱり形にならないし力もない。ネットはこうしたものに力を与えるかと一時は思ったけど、どうもそうならない。

ネットはいまんところ世の中酷いねってみんなで首をすくめて、何かしようとする人が立ち上がろうとするとみんなで足を引っかけて転ばせて二度と立ち上がれないようにボコボコにするだけ…って言うと言い過ぎでしょうけど(笑)。でもあんまりポジティブな力にはなってないね。
もちろん、ネットにだってそうじゃない人たちはいるのよ。でも、それがまだ形にも力にもなってないのが問題。

これはしかし、映画だけの話ではないし、日本だけの話でもないです。世界中で似たような事態が進行している。だとすると、切り捨てられる文化や芸術を愛している人たち、世の中には多様なものが存在すべきだと考えている人たちで集まって、次の十年をどうするか考えなくてはいけない。

次の十年をどう作るか、自分たちで実際に手も足も使っていく人たちが集まって考えるべき、って話ですね。そして残念ながら、どんなに世の中が悪くなり事態か悪化したとしても、自分自身の行動や選択としてそれを考える人は実はそんなに多くない。世の中もネットもそういうものです。

だからこそ、映画だけ日本だけって発想じゃもう駄目。数が足りない。形にも力にもならない。今切り捨てられようとしている文化や芸術の次の十年を作るためにどうするか、ジャンルや国籍の垣根を越えて考え、そして実際に動いて行かないと駄目だと思う。しかもそれは既に緊急を要する。

そしてその場所においては、ネットは力としても形としても有効に機能してくれるはずだとわたしは思ってます。自分たちの存在を根底から脅かしているものは、実は敵でも味方でもない訳で、だからそれを敵にしてしまうのではなく味方として使える方法を考えないといけない訳だから。

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ヨーロッパ映画とか作家映画、アート映画、ちょっとマイナーな映画が好きなみなさん、気がつくと、もうあれもこれも消えてるじゃないですか。でも、これからまだまだ消えますよ。色々まだ言えないけど。これに危機感を感じる人はいる筈で、でも感じてるだけじゃもう駄目って話です。

と言う話をもう2年くらいわたしはずっとしてきて、ジョアン・ペドロ・ロドリゲス・レトロスペクティヴもその中でやったし、今もまた次の企画を1年くらいずっと進めてきてます。でも難しいんですよ、なかなか。世の中には経済の他にも無関心とか既得権益の壁とか強敵がいっぱいいて。

取り敢えず、法に触れない程度にうまく立ち回らないといけないね。まともにやってたら勝てる相手じゃないし、味方にもなってくれないから。

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私も色々オーガナイズしているから分かるけど、責任者としては経済的にもう終わりですって上から言われたらそれまでなのよ。でも、周りは本当にそれで納得できるの?爆音だってあれだけ若い人たちで盛り上がって、終わりです、はいそうですかって、本気で世の中に疑問持ったな。

ネットの署名活動はあったし、それはそれで素晴らしいことだけど…私もオキュパイ・バウス!とか口走ったけど、納得できないって人が直接行動の一つくらい計画&実行して良かったと思うんだけどな。無関係な群衆にナイフ持って突っ込むだけがこの国の直接行動のあり方になりつつあるのかな。

有名な話だけど、1968年に当時の文科相アンドレ・マルローによってシネマテーク館長の座を一方的に奪われたアンリ・ラングロワの解雇に反対して署名とか大規模なストライキとか様々な直接行動が起こって、結果彼を元通り復職させることになった。

それはいわゆる5月革命につながって、映画でもカンヌ国際映画祭粉砕事件へと結びつく。そこで映画祭会場を占拠した若者たちの一人であったゴダールが半世紀後、今年のカンヌに招かれてやはり欠席したかわりに作った作品の内容は先日inside IndieTokyoで訳出した通り。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=508358125960156

もちろんゴダールやトリュフォーたちの行動も、全て賞賛されるべきものではなかったでしょうが、でもそれがあったおかげで守られたもの、変化してきたものはたくさんある。ところが、とりわけ日本だと学生運動に対する過度な反省と反発ばかり残ってしまって、今や何の運動も起きない国になった。

学生運動に対する過度な反省と反発は事実として世間にあるから、これは考えなくちゃいけないのよ。でも一方で、群衆にナイフ持って突っ込むしかもはや行動しようがない社会になっちゃったというのも事実としてある。だから、そこで本当に必要とされてるものは何か。それを考えなくちゃいけない。

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