試写日記その他090801

motherただいま、7月31日、金曜日の34時です。
あ、世間的には土曜日の午前10時ですか?
楽しい週末の始まりですね!
良いですね!
羨ましいですね!
世間を普通に真っ当に生きようとして、何でまた、世間からこんなに逸脱した生活を送らなくちゃいけないのか、全く理解に苦しみますよ。

しかも、こんな…
ねえ…

ああ、やめよう。
愚痴はやめよう。
愚痴を言っても、何も良いことないんだし。

…っていう愚痴は書いてるんだけどね。
それくらい許せよ、世間!

ああ、そうそう。
世間と言えばね、そう言えばね、ターミナル駅で人混みを歩いていて、こちらの進路に横から無理矢理体を入れてきて、当然のようにぶつかったり体の一部が当たったりして、もちろんお互いに進路を妨害しているわけだけれども、でも遅れて侵入してきた方が少しスピードを緩めて相手に道を譲るってのは、およそ当たり前のマナーであり、人がひしめく公衆の場所で事態を円滑に進めるための現実的な知恵であろうと思うのですが、無理を通せば道理が引っ込むとばかり、そこでいきなりキレはじめて、薄汚い捨て台詞をその場に残し立ち去っていこうとするような不作法なヤカラって、わたしの個人的体験に基づく限り、その圧倒的多数が中年男性、それも団塊世代であろうと思われる場合が殆どですね。

若者だけがキレやすいって、完全な嘘。
団塊世代の方が圧倒的に無茶ギレするヤツ多い。
しかも、タチが悪い。

ああ、薄汚い!
人間が小さい!
あの、内実を伴わない無駄なプライド!
相手に投げかける汚物のような捨て台詞によって、かろうじて保たれる男としての、父親としての尊厳ってヤツですか?
そんな下らない奴ら、みんな××じゃえばいいのに。

もちろん、汚物をこちらに放り投げたオヤジを、そのまま気持ちよく去って行かせたりはしません。
そのみみっちい人間のあまりにも浅い、浅~い器の奥底までじっくりと観察させてもらいつつ、両者の間のトラブルを解消する次の行動を相手に要求するため、歩調を合わせてしばらく相手の向かう方向へと一緒に歩きましたよ。
(裏のある)にこやかな微笑みを浮かべて。

と、なると。
あれね。
視線さえ合わさず、そそくさと逃げようとするのね。ああいう人って。
トラブルに正面から立ち向かう勇気なしですか。
捨て台詞専門ですか。
もちろん、こちらが歯応えのありそうなそれなりの年齢の男性だからそういう態度を取るわけであって、これがまた、女性だったり子供だったりすると、さらに相手をなめたような行動に出たりするんでしょうけどね。

まったく。
最低だな。
生きてる価値ないな。
でも、こんな奴らばっかなんだ。
世間って。
で、その世間ってヤツは、生きてる価値がないのはおまえの方だと言ってくるわけ。
やってられませんな。

試写日記×2

日本ジャーナリスト専門学校製作、井土紀州監督による『行旅死亡人』。

そんな世間とか社会によって窒息させられてしまう個人といった問題が、この作品の主要なテーマだと言って良いでしょう。
物語としては、結構面白いと思います。
ジョゼフ・ロージーの『パリの灯は遠く』とか、キム・ギドクの『うつせみ』とも共通する主題が、そこでは描かれている。
ただし、本当に重要なのは、そこから先。
ロージーやギドクにはあって、井土には存在していないものこそが肝心なのです。
あるいは、『パリの灯は遠く』や『うつせみ』において明確に息づいている感覚が、生き生きとした世界の表情が、残念なことに『行旅死亡人』では窒息させられてしまっている。
この作品は、その中で描かれている物語を、人物たちを、映画として裏切ってしまっているのです。
井土監督が冷ややかに口にするように、「軽やかだったり、お洒落だったりする」「最近のミニシアター系の映画」(というのはまた、なんて世の中からズレた現状認識だろうかと深刻に憂慮してしまいますが)のように撮れと言っているわけではありません。
人も世界も生きている。
その生きているものを殺してはいけない、映画によって窒息させてはいけないと言っているのです。
『行旅死亡人』の中で、わたしは息をつくことができない。

ポン・ジュノの最新作『母なる証明』。

大傑作ではないですが、ここには間違いなく映画作家が存在している。
『行旅死亡人』と比較するとき、その違いは明白です。
映画作家が存在しているとは、わたしたちが窒息してしまわないよう、そばで見守っている者の存在がその作品からは感じられるということです。
作品をコントロールする者ではありません。
むしろ、作品を統御するシステムに穴を開け、風通しを良くする者こそが、映画作家として私たちが発見する存在の仮の名前であるのです。
したがって、映画作家が存在するかどうかは、作品の出来不出来以上に、わたしたちがそれを支持するか支持しないかという態度決定に深刻な影響を及ぼすと言えるでしょう。
(むしろ、それを出来不出来の問題と取り違えてしまう場所からこそ、カルトや排他的な、ある意味で最も陰湿な趣味の共同体が生じてくるとも言えるのですが、それはまた別の話。)
わたしは、『母なる証明』を支持します。
とても面白い作品だと思います。
そして、ポン・ジュノは、アルモドバルと黒沢清とデヴィッド・リンチが秘めていたもう一つの可能性を、さらに特異な方向へと発展させて行くような気がしています。

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