あっちの方の話

物書きの途中で息抜きが必要って、わたしの場合、瞬きするためなんですよ。
人に言わせると、どうやらノート取ったりしてる間、わたし、瞬きの回数が極端に減ってるらしい。
ま、確かに、気がつけば目を真っ赤に充血させて、涙ボロボロ流したりしてるもんな。

昨日の場合、『証人たち』のいくつかの場面を思い出して、それで泣いてたってのもありますけど。
はい。
映画思い出して泣けるのって、わたしの特技です(笑)。
ともあれ、それで視神経痛めて、そこからヘルペス広がり始めるってのが、いつものパターン。

ただ、これはたぶん持病と言うよりも、ブレーキに近いものじゃないかと思いますが。
なんか、映画見た後でノート取ったりしてると、しばしばやり過ぎちゃうんですよね。
歯止めがきかなくなる。
あれはたぶん、なんかどっか違うところに片足突っ込んじゃってるんだと思います。

気がつけば8時間とかだもん。
あれは、日常的な時間感覚じゃできない。
で、そっちはちょっとよろしくないかもよ、とばかりに、どこかで自分の肉体の方が唯物的な現実からの抵抗ってものを利かせてくれるのではなかろうかと。

『証人たち』の中で、小説家役のエマニュエル・ベアールがタイプライター打ってて、横で自分の赤ちゃんがこの世のものとは思えない泣き声を上げているのに全然気づかず、たまたまやってきた友人にこっぴどくしかられてしまうという場面があって、彼女の場合、一応耳栓していたという設定はあるんですけど、これ、耳栓なしでも余裕でやれますよ。
つか、やってる。毎回。

こういうのは、でも、自分のためにノート取ってるときのことであって、それがまた、人前で話をするとか文章書くとかって段階になると、そこではもちろん、それなりの配慮とかバランス感覚を示すようにはしてますけど。
そういった作業も、とっても大切なことだと思うし。

とは言え、それで読者とかオーディエンスの人生変えてやろうとか、そんなこと絶対に思いませんけどね。
いや、昨日そういう文章をチラッと読んでしまって(笑)、それ、なんだろうかと思った。
正直、なんて傲慢なことを言う人かと。

読者には読者の人生があるのであって、それはこちらにわかるわけがないし、わかるとか思っちゃいけないものでしょ。
ましてや変えてやろうなんて、ありえない。
そういうのって、奇跡のような出来事として起こるのであって、奇跡は計算できるものじゃないんだから。

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