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『オキュラス』

Oculus_Oficial_Poster_34JPostersアメリカで話題になってたマイク・フラナガン監督『オキュラス』を見ました。インディペンデント系ホラー映画。最近流行のPOVとかファウンド・フッテージみたいなリアルさの仕掛け一発映画とは対極にある作り込まれた映画で、なるほど、ちゃんと考えて流行作るなって印象。

ホラーはやっぱり観客の生理的嫌悪感とかショックとか無意識的ないし本能的恐怖を巧みに突こうとするものが多いですが、これはむしろ理詰めでホラーのストーリーテリングを探求している印象。なのでダイレクトな怖さは薄いかも知れませんが、試みとしてなかなか面白いと思う。

子供の頃引っ越した家に置かれた古い鏡のせいで一家に惨劇が起きて、それからしばらくして生き残った姉弟が鏡に復讐しようとするってのがプロローグ。これがまあ入力項というか初期値というか、ここから発想できるギミックと映画の語りの全てを一つの屋敷内部で展開しますって映画ですね。

物語と道具立てとしては、『シャイニング』+『ヘルハウス』あたりかなあ?

鏡が姉弟に見せる幻想と現実、そして彼らの過去の惨劇が入り交じりながら非常に込み入った映画的語りを展開していきますが、ホラーでなくてもここまで複雑なのはあまりないかも。『プライマー』とまでは行きませんが、方向性としてはあれですね。

映画やジャンルの幅を狭めず、その内部で可能な方向をこうやって探ろうとするのはやっぱ大事だと思いますね。みんなが同じような映画撮ってたら、そりゃすぐ飽きちゃうし。フラナガン自身が過去に撮った短編をバージョンアップした作品みたいです。

『オキュラス』(マイク・フラナガン)予告編
https://www.youtube.com/watch?v=dYJrxezWLUk

クリストファー・ノーラン「映画館は生き残る」について

クリストファー・ノーランがWSJに寄せた「映画館は生き残る」という文章が話題になっていたのですが、まず日本語訳が良くなくて内容が分かりにくいってことと、もう一つ、論理的に飛躍していて、特に新しい視点もない気がしました。

本家の英語版はこちら。
http://online.wsj.com/articles/christopher-nolan-films-of-the-future-will-still-draw-people-to-theaters-1404762696
WSJ日本語版で読める該当記事はこちら。
http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702304188504580018153711393826

もちろん、有名監督が映画館大丈夫だぜって言うことには一定の意味があると思いますが、とりわけ日本では情緒じゃなく明確なロジックでものを考える必要があると思うんですよ。映画好きな人たちが映画素晴らしいって言ったって解決にならないってのが今の問題な訳だし。

全体の中で論旨として重要なのは後半の二つのパラグラフ。

The theaters of the future will be bigger and more beautiful than ever before. They will employ expensive presentation formats that cannot be accessed or reproduced in the home (such as, ironically, film prints). And they will still enjoy exclusivity, as studios relearn the tremendous economic value of the staggered release of their products.

The projects that most obviously lend themselves to such distinctions are spectacles. But if history is any guide, all genres, all budgets will follow. Because the cinema of the future will depend not just on grander presentation, but on the emergence of filmmakers inventive enough to command the focused attention of a crowd for hours.

意味が通りやすいようにザックリ訳すとこんな感じ。

「未来の映画館は、かつてなく大きく美しいものとなるだろう。そこでは、家庭では到底不可能なほど高価な上映形態が採用されるに違いない(たとえば、皮肉なことにフィルムがそうなる)。そして、その体験は映画館でのみ味わうことができるのだ。というのは、映画会社は自社の作品を映画館へと優先的に供給することの経済的価値を再び学ぶであろうから。

明確に違いを際立てるのはスペクタクルである。しかし、歴史に学ぶならば、あらゆるジャンル、あらゆる予算の映画がこのあとに続くだろう。なぜならば、未来の映画は壮大な作品ばかりではなく、何時間も観客を集中させることが出来るほど独創的な映画作家が登場するかどうかにもかかっているからだ。」

ここで彼は、1:映画館はスペクタクルを体験するための場所になる、2:未来の映画はスペクタクルばかりではなく、独創的な映画作家によっても支えられる、という2つの内容を語っている。

まず、1に関しては、すでに多くの人が指摘している通り。映画館は特別な日に家では味わえない特別でスペクタクルな体験をするための場所になる。しかし、それはすなわち映画が大衆娯楽ではなくなるということでもある。さらに、スペクタクル産業としては競合するライバルもたくさんいる。

おそらくハリウッドは十分やっていけるでしょうし、むしろこの分野での世界の需要をますます独占するでしょう。しかし、それ自体が問題である。つまりハリウッド以外のマイナー映画に生きる道はあるのか?

次に、2番目のポイント。スペクタクルに牽引される娯楽産業となった映画の中で、独創的な映画作家の居場所はあるか?もちろん、あるでしょう。ノーランのように独特のテイストを備えた作家もまたハリウッドは必要としている訳ですから。

とは言え、それがすなわち、独創的な映画作家やマイナーな映画作家が生まれてくる土壌が成立することを意味してはいない。この辺、ノーランの文章は曖昧でずるいと思いました。あるいは真面目に考えていないか。
意地悪く言えば、自分は成功者ですからね。これから成功したい人間や成功しなくても生きていくべき人間のことは彼には考える必要がない。

いずれにせよ、大衆娯楽ではなくなった映画には、そのようなオルタナティヴのための土壌を自前で用意する余裕はないでしょう。むしろ、ますます効率優先になるばかりですよね。

ハリウッドとスペクタクルの殿堂となった豪華な映画館以外はどうなるか。映画というものが特別な日に味わうスペクタクルになるのであれば、そしてそれが同じ程度の値段であるならば、誰しも潤沢な予算で作られた高価なハリウッド映画を選択するでしょうし、豪華な映画館を選択するでしょう。

つまり、多様性の存在する余地がなくなっている。これが問題である訳ですが、ノーランの文章はそれに関して何も答えていない。かなり積極的に曖昧で、何か中身の伴わない希望ばかり語ってる気がします。

N10Y

数年前から分かってたことだし、これに向けて準備も進めてきたんだけど、やっぱり今の日本ではもうちょっとでも非効率なものは全て切り捨てられてしまう。映画ならブロックバスターだけ、文化は萌えやアイドルだけ。それらが悪いと言うんじゃなくて、それ以外がもう何もなくなってしまう。

これは勿論経済的理由ですけど、でもそれをほぼ国民全体で推し進めてる。政府がって言うんじゃなくて、雑誌などのメディアから文化人からネットに至るほぼ全てがその方向性を加速させてる。抵抗している人たちはあちこちに少しずつはいるけど、それは形にならないし力も持っていない。

でも、じゃあそこで切り捨てられるものを愛している人がいないかと言うと、そんなことは全然ない。それはちゃんと一定数いる。多くはないけど無視できる数でもない。ただやっぱり形にならないし力もない。ネットはこうしたものに力を与えるかと一時は思ったけど、どうもそうならない。

ネットはいまんところ世の中酷いねってみんなで首をすくめて、何かしようとする人が立ち上がろうとするとみんなで足を引っかけて転ばせて二度と立ち上がれないようにボコボコにするだけ…って言うと言い過ぎでしょうけど(笑)。でもあんまりポジティブな力にはなってないね。
もちろん、ネットにだってそうじゃない人たちはいるのよ。でも、それがまだ形にも力にもなってないのが問題。

これはしかし、映画だけの話ではないし、日本だけの話でもないです。世界中で似たような事態が進行している。だとすると、切り捨てられる文化や芸術を愛している人たち、世の中には多様なものが存在すべきだと考えている人たちで集まって、次の十年をどうするか考えなくてはいけない。

次の十年をどう作るか、自分たちで実際に手も足も使っていく人たちが集まって考えるべき、って話ですね。そして残念ながら、どんなに世の中が悪くなり事態か悪化したとしても、自分自身の行動や選択としてそれを考える人は実はそんなに多くない。世の中もネットもそういうものです。

だからこそ、映画だけ日本だけって発想じゃもう駄目。数が足りない。形にも力にもならない。今切り捨てられようとしている文化や芸術の次の十年を作るためにどうするか、ジャンルや国籍の垣根を越えて考え、そして実際に動いて行かないと駄目だと思う。しかもそれは既に緊急を要する。

そしてその場所においては、ネットは力としても形としても有効に機能してくれるはずだとわたしは思ってます。自分たちの存在を根底から脅かしているものは、実は敵でも味方でもない訳で、だからそれを敵にしてしまうのではなく味方として使える方法を考えないといけない訳だから。

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ヨーロッパ映画とか作家映画、アート映画、ちょっとマイナーな映画が好きなみなさん、気がつくと、もうあれもこれも消えてるじゃないですか。でも、これからまだまだ消えますよ。色々まだ言えないけど。これに危機感を感じる人はいる筈で、でも感じてるだけじゃもう駄目って話です。

と言う話をもう2年くらいわたしはずっとしてきて、ジョアン・ペドロ・ロドリゲス・レトロスペクティヴもその中でやったし、今もまた次の企画を1年くらいずっと進めてきてます。でも難しいんですよ、なかなか。世の中には経済の他にも無関心とか既得権益の壁とか強敵がいっぱいいて。

取り敢えず、法に触れない程度にうまく立ち回らないといけないね。まともにやってたら勝てる相手じゃないし、味方にもなってくれないから。

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私も色々オーガナイズしているから分かるけど、責任者としては経済的にもう終わりですって上から言われたらそれまでなのよ。でも、周りは本当にそれで納得できるの?爆音だってあれだけ若い人たちで盛り上がって、終わりです、はいそうですかって、本気で世の中に疑問持ったな。

ネットの署名活動はあったし、それはそれで素晴らしいことだけど…私もオキュパイ・バウス!とか口走ったけど、納得できないって人が直接行動の一つくらい計画&実行して良かったと思うんだけどな。無関係な群衆にナイフ持って突っ込むだけがこの国の直接行動のあり方になりつつあるのかな。

有名な話だけど、1968年に当時の文科相アンドレ・マルローによってシネマテーク館長の座を一方的に奪われたアンリ・ラングロワの解雇に反対して署名とか大規模なストライキとか様々な直接行動が起こって、結果彼を元通り復職させることになった。

それはいわゆる5月革命につながって、映画でもカンヌ国際映画祭粉砕事件へと結びつく。そこで映画祭会場を占拠した若者たちの一人であったゴダールが半世紀後、今年のカンヌに招かれてやはり欠席したかわりに作った作品の内容は先日inside IndieTokyoで訳出した通り。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=508358125960156

もちろんゴダールやトリュフォーたちの行動も、全て賞賛されるべきものではなかったでしょうが、でもそれがあったおかげで守られたもの、変化してきたものはたくさんある。ところが、とりわけ日本だと学生運動に対する過度な反省と反発ばかり残ってしまって、今や何の運動も起きない国になった。

学生運動に対する過度な反省と反発は事実として世間にあるから、これは考えなくちゃいけないのよ。でも一方で、群衆にナイフ持って突っ込むしかもはや行動しようがない社会になっちゃったというのも事実としてある。だから、そこで本当に必要とされてるものは何か。それを考えなくちゃいけない。

シネクラブ2014/06/14

prt_1024x768_1371718707アンスティチュ・フランセ横浜シネクラブのお知らせです。

6月14日(土)
会場:東京芸術大学馬車道校舎
http://www.fm.geidai.ac.jp/access
※上映終了後、私のトークが付きます。

14時~
『公共のベンチ(ヴェルサイユ右岸)』
(フランス/2009年/115分/カラー/デジタル/英語字幕付)
監督:ブリュノ・ポダリデス
出演:カトリーヌ・ドヌーヴ、ドゥニ・ポダリデス、オリヴィエ・グルメ、ジュリー・ドパルデュー、ティエリー・レルミット、キアラ・マストロヤンニ、エマニュエル・ドゥヴォス、マチュー・アマルリック、イポリット・ジラルド、ミシェル・ロンズデール、ニコール・ガルシア

リュシーが会社にやってくると、向かいの建物の窓に「独身男」という黒い垂れ幕が下がっていた。これは冗談なのか?心の叫びなのか?誰かが助けを求めているのか?リュシーと同僚は真相を究明する決意をするのだが…。

「ポダリデスの作品は、ジャック・タチの映画の伝統を引き継ぎ、喜劇の中に詩情が溢れている。そして、よりいっそうパーソナルな自由がある。オリヴィエ・グルメ、ブノワ・ポールヴールドらをはじめとする、豪華な顔ぶれの仲間の俳優たちが映画に花を添える。バーレスクな調子と、まれに見る的確さで描かれた感受性溢れる映画に。」

http://www.institutfrancais.jp/yokohama/events-manager/cahier5/

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16時半~
『7月14日の娘』
(フランス/2013年/88分/カラー/DCP/日本語字幕付)
監督:アントナン・ペレジャトコ
出演 : ヴィマラ・ポンス、ヴァンサン・マケーニュ、ブリュノ・ポダリデス

7月14日、 勤務先のルーブル美術館でトリュケットという娘に出会ってからというもの、エクトルの頭は彼女でいっぱい。友人パトールも巻き込んでトリュケットとその友達シャルロットを海に誘う。シャロットの弟ベルティエも仲間に加わり、いざ海を めざしてフランスの田舎道を進むが彼らのほかに車はない…。というのも、世の中は経済危機のただ中なのだ。そんな時、政府はバカンスを1か月短縮することを決定し、国民に早々に仕事を再開するよう要請?!はたして「7月14日の娘」たちは無事に海にたどり着けるのだろうか…。

2013年カンヌ映画祭監督週間出品作品。
「本作は喜ばしい成功であるだけではなく、最近のフランス映画では放棄されていた領域に果敢に踏み込んでいる。それは非自然主義的コメディという領域である。」(シリル・ベガン、「カイエ・デュ・シネマ」)

http://www.institutfrancais.jp/yokohama/events-manager/cahier6/

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当日券のみ。会場にて開場時より販売。一般1200円、会員600円、芸大生無料 (同日2本目は一般も600円) 1本目と2本目のチケットの同時購入可能。開場は、各回30分前より。整理番号順でのご入場・全席自由席。
問い合わせ:045-201-1514

会場:
東京藝術大学 (横浜・馬車道校舎)大視聴覚室
〒 〒231-0005
横浜市 中区本町 4-44

中国で上映禁止となった『紅い夜明け』(抄訳)

CINEUROPAに掲載された『紅い夜明け』についての記事を以下に抄訳します。
I translated this article in Japanese to show our solidarity with Joao Pedro Rodrigues and Joao Rui Guerra da Mata.
http://cineuropa.org/nw.aspx?t=newsdetail&did=258394&fb_action_ids=10203669863288395

alvorada_1中国で上映禁止となった『紅い夜明け』(抄訳)

先頃北京で開催された「Where is China?」展覧会からジョアン・ペドロ・ロドリゲスとジョアン・ルイ・ゲーラ・ダ・マタ監督による2011年の短編『紅い夜明け』が取り下げられた。ポルトガル短編映画エイジェンシーAgenciaはこの件に当惑している。
Agenciaによると、作品はイベント開催の一時間前になって突然上映禁止になったとのことだ。(作品が記載されている)パンフレットも回収された。開会式にはポルトガル大統領アニーバル・カヴァコ・シルヴァも出席していた。

AgenciaのSalette Ramalhoは次のように語っている。
「『紅い夜明け』は詩的で視覚的に驚くべき力を持つドキュメンタリーです。客観的な観察に力点が置かれており、マカオの有名な市場レッド・マーケットで動物たちがいかにして食用に供されるか、その儀礼的動作の現実をとらえています。この作品が何故上映禁止になった中国政府からの説明はまだありません。作家たちとの連帯を表明すると共に、大統領が出席する場でこのような事態を招いたことに対するポルトガルの外交的力不足を残念に思います。」

展覧会キュレーターの一人であるLuis Alegreは次のように語る。
「私は個人的にも職業的にも検閲には絶対に反対です。私たちはこの展覧会を企画した当初から、中国が検閲国家であることに常に意識的でした。
展覧会の名称「Where is China?(中国ってどこ?)」とは、現在世界的に拡張しつつある中国それ自体を問うための反語的なレトリックです。
それは、今日の世界に於けるイメージの重要性を意識したものでもあります。
どのような体制であれ、イメージを隠そうとするものは、手酷いしっぺ返しを食らうことになるのです。
残念ながら、今回そのような暴力が27作品中の2作品に対してふるわれてしまいました。
この暴力が及ぼす結果は、作家たちばかりではなく、中国の観客たちにとっても明らかに感じられたでしょう。イメージの不在として。」

ジョアン・ペドロ・ロドリゲスは次のように語る。
「映画監督として、私たちは常に最大限の観客に自分の作品が届けられることを願っています。そして今回は、中国とポルトガルのアーティストの対話という場で北京の観客に自作を見てもらえる素晴らしい機会でした。
『紅い夜明け』は中国の一部であるマカオ文化省支援の元、マカオで撮影されたものです。そしてそれはマカオの有名な市場のドキュメンタリーでもあり、この作品が検閲問題を起こすとは私たちは全く考えていませんでした。私たちは北京にはおらず、中国政府からもいまだにこの受け入れがたい状況に対する説明を得ていません。
ポルトガル大統領がこの件に対して何のコメントを出さないことも、同様に受け入れがたいことです。

ポルトガル大統領および大統領府はこの件について何のコメントも出していない。